2025/1/30 運命線とミーアキャット

断片的な小説のかけらを記しておく。いつかうまく繋ぎ合わせて長編の物語となればいいな。


彼女は僕の前に突っ伏して、あることないことガラクタのような言い訳を並べ立てる。

「だってそんなの気力が湧かないんだもの、そしてその気力が湧かないっていうのはね、結局のところ、社会のせいなの」

自己を取り繕おうと必死に身の回りを厚い壁で塗り固めているように見える。その言葉に覇気はなく、そしてその実、それが単なる言い訳に過ぎないということを、本人が一番よくわかっている様だった。でもそれを認めきれないでいる。彼女の頭脳は明晰で、あらゆる社会問題に対して合理的に、そして客観的に述べる能力がある。一般大衆の考えに靡かない頑固さを持ち合わせながら、しかもありがちで通り一辺倒な左翼的批判に傾きすぎることもない。何でもかんでも批判しかしない共産党や、対案を考えようとすらしない野党勢力に対しては、常に批判的だった。この年にしては実に立派で僕自身も学ぶことがないわけではない。しかし一方で、自分のことに関しては常に独善的で偏っていて、何より、行動力というものがまるでない、意志の強さというものが全く見られないのだ。他人に対しては尤もらしい批判を論じることができるその思考力は、自身のことに関しては全く適応されない。

僕はこれまでもなるべく傷つけないように婉曲的にアドバイスを続けてきた。頭ごなしに「あれをやりなさい、これをやりなさい」というのは逆効果になるというのはよく分かっていて、感情的にならず一歩引いた立場から、「こういう意見もあるんじゃないか?」「こういうことを言っている人もいたよ」と彼女の感情に寄り添いながら、そしてなんとか彼女自身の力で迷路の出口を探し出せるような、そんな細やかなヒントを散りばめて、行動を促すのだった。でも、それもそろそろ潮時だな、言うべきことは言わなければならないんじゃないかと、そしてその言葉が彼女を幾分傷つけてしまったり、あるいは無視されてしまったりするにしても。

僕は言う。

「そろそろ君も腹を括って、自分の言葉と行動に責任を持つべきじゃないかな、相手のことや社会をとやかく言ってたって、何も始まらないじゃないか」

僕の言葉は予想通り、宙を舞った。響いているのか響いていないのか、どちらにしても君は全く聞き入れるそぶりを見せようとしなかった。でもその実、君の細やかな表情の変化から、自分の言っていることがいかに非合理的であるか、分かっている、頭の回転の速さからこんなことを理解できないはずがなかった。

「ねぇ、知ってる?」彼女はふいに自分の手に目をやる。

「手相の中にね、”運命線”っていうのがあるの。」

話が飛翔していることに違和感を感じつつも、僕は彼女のペースに合わせる。

「へぇー、知らないな」

僕も彼女に合わせて掌に目を落としてみる。生命線や感情線というのはなんとなく目星はついたが、運命線というのは馴染みがないものだった。

「ほら、あなたの左手も見せて。ここの真ん中から中指に向けて走ってる線のことだよ、あなた、すごい濃くまっすぐに出てるのね、ほら、これこれ」

確かに真っ直ぐ、どの線よりもくっきり中指に向かって伸びている線が見てとれた。

「へぇーこれが運命線って言うんだ。いつも手相って生命線ばっかり見ちゃうんだよね、他の人より短いから長生きできないんじゃないかってさ。でもこの運命線ってどういう意味なの?運命的な線?なの?それって良いことなのかな?」

「うん、これはね、”自分の運命に対していかに素直に生きているか”って線なの。まぁ伝わりづらいからもっとシンプルにいうと、”今の仕事に対しての意欲”を表すもので、線が濃ければ濃いほど、長ければ長いほど、今就いている仕事に本気で取り組めていることを物語っていて、それは意志の強さでもあるから、ほら、あなたってほんと仕事大好きじゃない?そういうのも手相から見てもわかるのよ」

僕は自分自身の仕事ぶりについて頭の中で想像してみた。上司ほどの徹底ぶりではないにしろ、言われたことは必ずやり遂げるし、自分がやりたいと決めたことは最後までやり通すタイプなのは事実であった。何でそんなことが手相一つで分かってしまうんだろう。手相っていうのは非合理的なものだし特に信じてこなかった自分としては、これ一つで鵜呑みにするということはない。多分たまたまなんだろう。それにしても合理主義の彼女らしくないなとも思う、どうしてそんな不確かな手相占いなんかの話をしたんだろう。

「私ね、”運命線”がないの。ほら見て」

僕は自然に彼女の手を取って線を探す。その手はスベスベでモチっとしていて、いかにも女性らしいきめ細やかな肌の感触だった。正直運命線なんかよりそっちの方が気になって仕方がなかった。

「うーんそうだねぇ、ないのかなぁ」

「だからね、私、意志が弱いの、何もできないの、やる気や気力が湧かないってよく言ってるけど、それって多分、運命が枯れてるのよ。」

「そんなことないよ、だって占いなんて科学的な根拠はあるのか?それってあなたの感想ですよね?って論破しちゃえば良いじゃない」

「ううん、そういう論文があるかどうか知らないけど、手相占いは正しいの。他の星座占いとか血液型占いとか何だとかはよく分からないけど、手相占いは間違いなく私たちの思考パターンを表してる。なんていうんだろう、うまく言えないけど、手相って頭の中の血流の巡り方やその速度みたいなのがそのまま手の先まで伝えられているって感じで、姓名診断や生年月日占いよりも、その人の身体の中からのはっきりした明確なサインなのよ」

僕は言っている意味が全く分からなかった。星座占いと血液型占い、そして姓名診断に生年月日占い、それと手相占いとの間で信憑性に違いがあるとはとても思えなかった。

「よく分からないよ、どれも信憑性に欠けるしそんなものに頼らないで自分で考えて行動するのがいいよ」

「違うの、私って、本当に弱くて何もできないの、自分で考えて行動することなんてできない、自分に責任が持てなくて、そこからすぐ逃げ出してしまって、それもこれも全部運命なのかなって」

続く(多分)


占いについての文章が書きたかった。占いってみんなは信じるのかな。僕は一理あるなぁと思ってる、でもそれは信じているというわけではなく、そして疑っているわけでもない。そういうこともあるんだなぁって。でも強い人って占いなんか信じずに、自分を信じるよね。羨ましいね、自分を信じることができる人、自分の力を自分の能力を、自分自身を信じて疑わない人、僕は僕自身のことが疑わしくって仕方がない、だから占いを信じるっていうのはどうにも自分から逃げているんじゃないかって気がしてくるね。自分の弱さを受け止めきれずに弱さから背を向けてね、これが自分の生き方だって開き直るのかな、それってダサいね、悲しいね、もう朝だよ、眠くならないよ、はぁ。