
僕はYahoo!ニュースのトップ記事を見漁る。目が覚めている限り、情報で頭を埋め尽くしたいと思うから。空白に頭を支配されたくない、何もないからっぽの頭が不安でたまらないから。それは能動的なものというよりも、受動的なものでなければならない。意識的に行動して、頭を捻らせて各種の問題解決を図らんとする類の埋め合わせではなくって、受動的に情報を浴び続けることによる塗り潰しに他ならない。内容は何だっていい、軽薄なネットニュース、使い古された笑い、ありきたりな芸能ニュース。でもシリアルなものではいけない、誰々か死んだとか病気で苦しんでいるとか、喫緊に迫った現実的な問題を思い出させるものではいけない、逆にそれらを忘れさせてくれるもの。複雑に入り組んだ社会問題もパスだ、僕の頭にそんなことを考える余裕はない。

中居氏による性加害問題の記事を目にすると、すぐに飛びついてコメント欄に目を走らせる。記事の内容はほとんど読まない、読むといってもほんの少し目を通す程度であって、その中身よりもそれらに寄せられる一般ピーポーのコメントこそが本題であるかのように、躍起になって批判的な意見を探していく。正直騒動の根幹となる事件についてはよく分かっていないし、警察沙汰にもなっていないことから、本人の謝罪会見やら番組降板、芸能活動の自粛とまではいきそうにないというのが率直な感想だ、しかし内容のことはもはやどうだっていい、とにかく僕は彼を叩きのめしたい想いでたまらないし、社会的に注目を浴びている人物を力づくで舞台から引きづり下ろしたい。最初はただ頭の空白を埋めたい一心で稚拙な記事に目を配っていたに過ぎないのだが、気付けばコメント欄の過激な意見にいいねを押し続けている自分がいる。もはやもともとの動機がよくわからない、自分の憂さ晴らしのためなのか何なのか、いやそれは社会的な正義なのかも知れないし、芸能界の腐った悪習を断つという大義名分があるのかも知れないが、兎にも角にもそれを「したくてしたくてたまらない」のだ。それを「したくてしたくてたまらないのだ」というのはどこぞの凶悪犯罪者が犯行声明文で記していた言葉だな。
今回の記事には何千件というコメントが寄せられる。すべてのコメントを閲覧し切ることはできないため、YahooではAIによって重要度の高いコメントが上位に上がってくる仕組みとなっている。だがそれらに目が触れることはついぞない。さらに一般人のコメントだけだと偏った思い込みによる意見も少なくないため、有識者による客観的な書き込みが一番上に表示される、しかしその書き込みもあってないようなものだ、一番つまらない意見であり、とにかく彼を容赦なくぶっ叩くような書き込みを優先して閲覧し、いいねを押し続けたい。客観的で無味乾燥な建設的な議論なんて僕は全く求めてない、叩きのめしたいんだ、空白を埋め尽くしたいんだ、我が物顔で正論や綺麗事を並べ立てるコメンテーターには吐き気しかしない。その類だよ、自称有識者のコメントは。

中居氏のニュースが最初に持ち上がった時から、彼を徹底的に叩き潰して窮地のどん底まで追い込んでやりたいという気持ちより他のことがなかった。とにかく不快でたまらない、社会的に間違った行為をしておきながら、社会的地位を長く保ち続けてきたという理由で大きな問題とならないというのが、不愉快極まりない。もしそれを僕がしていたらどうなっていたか、間違いなく会社を追放されるだろう、仕事もなく路頭に迷うに決まってる。でも彼はただ知名度が高くかつて高名な事務所に属していたから、そして今も各メディアで影響力を持っている著名なタレントだから、という理由で特別に被害を免れる。良い身分だな、しかし。やつをぶっ叩け。ぶっ叩き続けろ、良いぞもっとやれ、僕はここに生きてるんだ、そこかしこに生き続けてるんだ、それを思い知るが良い、お前らの知ることがないこの底辺のサイレントマジョリティー。秋元康もついでにぶっ叩いたらいい、黒歴史の1つや2つはあるに決まってる。ただあいつはトカゲみたいに逃げ足が素早いからいつも取り逃がしている嫌いがある、まぁいつかとっ捕まえてやるさ。
続報が流れるたび、僕は批判的なコメントにいいねを押し続けた。女性との示談が成立したという事実を盾に真実を伝えずこの局面を乗り切ろうする中居氏には、徹底的に彼の悪事を暴こうとする人々が辛辣なコメントで罵倒している。そしてそれを僕は良いぞもっとやれとばかりにいいねを押し続け、悪いコメントばかりが目につくようになる。でもそれは当然のことだ、いいきみだ、ざまあみろと、これぐらいの誹謗中傷じゃまだまだ足りないくらいだ、多くのメディアが押し寄せる場所で記者会見を開いて、全国民に涙の謝罪会見をやらせるくらいじゃないと、あの鬱憤は晴らしきれない。あぁ腹が立って仕方ない、まだまだやるぞ、続報はまだか、次の文春の発売日までまだ時間がある。こちらは準備万端だ、空白がいつだって僕の影で待機している。

芸能界のニュースは我々一般ピーポーにとっては不満の吐け口でしかないので、事実がどうこうとか、善悪の基準がどうとかそういった本質的なことは議論されない。上に立つものが叩かれて袋小路に追い込まれ、そして真っ逆さまに坂を転げ落ちるところを見たくてたまらない、それによって僕ら自身の首をも締めているということも知らずに、目の前のおもちゃで遊び尽くして、それが終わればまた新たなおもちゃを探して心を満たす、その繰り返しだから、芸能界の構造的問題だったり、社会矛盾について真剣に考えるとかそういうことは、本当に何の意味もない。終わり。おしまい、でも終われない。終わらない物語。
でもその、特定の団体や人物を槍玉に挙げて徹底的に叩き潰すという構図に、ある種俯瞰的に見て異様な状態だということを認識して日本人の右へ倣えの性質を批判する人がいる一方で、その構図を生み出している根本的原因もやはり我々一人ひとりの意識から生み出されているのだと思う。特にSNSで意見を表出するときは客観的で冷めたもっともらしい考えで綺麗にまとめ上げている傍ら、おそらくそのもっともらしい多くの人間が匿名のコメント欄で暴言を際限なく吐き続けている、あるいはその暴言に対してお墨付きを与えている。そうでなければここまで大きな問題とはならなかったし、フジテレビの会見も前代未聞の長丁場にはならなかった。我々の人格が真っ二つに割れて、一方は綺麗事のもっともらしさ、一方では際限なき罵詈雑言。二つの相容れない性格が同時に存在していることの矛盾が存在して、その矛盾を僕らの矛盾ではなく、社会矛盾として立ち現れる。批判するべきは自らの、もちろん僕自身の、二面生であって社会矛盾ではあらない。良い加減インターネットを規制すべきだと思う。でももちろん、僕も社会に出ればもっともらしい綺麗事を並べ立てて、このブログなるインターネットの世界で罵詈雑言をこしらえているという二面性を表していて、しかもその吐け口の存在によって自分を保っている。どうすれば良いのかと言われれば、どうしたら良いのだろう。
僕としては、集合的無意識の中に答えがあると思われる。我々の集合的な無意識の中に巣食う空白の影を、(空白に影なんてあるのか?)、空白に耐えられない僕らの影を、いかに解消するか。
久しぶりに「何だこれは・・・」と思わせてくれた曲。こういうのは心というよりも、脳髄に響いてくる。SOPHIEみたいなアバンギャルドさがあってたまらないな。歌詞が幼稚だけどまぁ日本らしさがあって良いんじゃないかな(軽薄な社会批判よりかは百倍マシ)、このままの雰囲気でアルバムを作ってくれたら本物だと思うが、どうだろう。