2025/10/10 あらしに散れる恋心

朝晩冷えるようになってきた。エアリズムのインナーにメリノウールの長袖を着る。ついこの前まで、というか2、3週間くらい前、半袖と短パンに冷房をつけて寝ていたのを考えるにつけて、突然秋から襲われたような気分だった。家から駅に行く道すがら、イチョウ並木が見えるのだけれど、銀杏がそこかしこに落ちていて異臭を放って僕の鼻を打つ。秋なのだな、と思うけれども、もうすぐ色づいたイチョウが見れるのだな、と思うのだけれど、息を止めながらその場を通りすぎる。通り過ぎなら、同じような経験をしたことがあるという考えに辿り着く。

あぁあれは大学のキャンパスのことだった。大学の構内にもこれでもかというくらいイチョウが植えられていて、それは紅葉の時期にはキャンパスの背景と相まって壮麗ということが言えるものの、やはりその前の異臭には閉口せざるをえなかった、そして結局今日みたいに息を止めながら足早にその場を去るのだった。無論、イチョウが色付く頃合には大抵大学にはあんまり言っていなかったのだが。早稲田祭がある11月の上旬というのはもうとうに勉強意欲もどこか宇宙の彼方に吹き飛んでいって、サークルとバイトの行き帰りが日課になっているかあるいは家でいつまでも(本当に3時とか4時とか)眠りながら大半を無為に過ごすなどしていたのだった。その頃はtiktokなんてなかったのだけれど、どうやって時間を潰していたのだろうか。YouTubeだろうか、まぁそうか。でもtiktokが出来て全国の可憐な素人JKのダンス動画が無料で常に見れるようになったというのは、実に近代文明の勝利というほかないだろう。

大学の頃を思い出すと、サークルのことや友人のこと、好きだったの女こと(もちろん成就しなかった)、授業のことや課題やレポート、単位を落とすとか落とさないとか、色とりどりのことがとりとめもなく記憶が走馬灯のように蘇ってはくるのだが、一番思い出させるシーンというのは、大学のキャンパスの中を颯爽と歩いて大隈銅像や壮麗な3号館に囲まれながら、期待あふれる未来に向かって闊歩していく、そしてイチョウ並木を自身に満ちた顔で突き進んでいく、あの希望に満ち足りたイメージだった。浪人して1年間思い描き続けていた大学だったからこそ、大学の雰囲気自体に酔いしれてしまうのかは分からないけれど、自分の理想的な大学で自由を、あぁ大学の自由を!享受しているのだという、どこか薄汚れた優越感のようなものにしばらく取り憑かれていたし、それは大学3、4年になっても、いや多分留年した5年になってもそのような感覚に囚われていたのかもしれない。あと多分、高校時代のむさ苦しい男子校の閉鎖的なイメージというものも、その自由で広大なイメージを助けていたことも疑いないように感じる。僕の高校時代といったら何のイメージも感興も湧いてこないような全き無の時間を過ごしてしまったので、本当にさっきの大学の走馬灯のようなイメージと打ってかわって、高校の時の記憶というのはもう教室の窓から外を眺めるということくらいしか思い出せない、それくらい鬱屈した塞ぎ込んだ、肥溜めのような場所だった。それはどれもこれも自分のせいというのはよくわかっているのだけれど。あぁ自分には男しかいない生活というのは苦痛でしかなかった。松本人志が面白いやつの特徴として「女好き・根暗・貧乏」を挙げていたのだけれど、まぁ確かにそうだろうな、と妙に納得した。

14号館から大隈銅像の方を眺めやると、イチョウ並木がちょうど未来へのゲートかのように僕を待ち受けてくれていた。後ろを振り返ればこれもまた荘厳な大学図書館が聳えていて、その近くにはひっそりとした「キッチンミキ」なる小さな飲食店があって、いつも4限終わりにそこでハンバーグ定食を一人頬張るのだった。4限終わりだと、つまり16:15、人が少なくすぐ注文できるのであるが、僕は前述の通り秋口にはすっかり怠けていたので大体4限の授業しか出れなかったから都合が良かった、12時過ぎに行くともちろん満席で行列ができていたりした。友達がいない僕からしたらそこに並ぶのは至難の業で、多くの学生が友達連れの陽キャたちだったというのはいうまでもないだろう。カウンターに座っていつものハンバーグ定食を頼んで、確か値段は500円ポッキリだった気がするけど、量も十分あってハンバーグのデミグラスソースがすこぶる濃厚で美味だった。でも出される水のコップがいつも汚くてあまり手をつけなかった。亭主のおじさんと早大生らしいバイトの学生がキッチンで料理しているところを間近に見る事になるのだけれど、使い終わったコップをまともに消毒ところをついぞ見ることがなかった。適当に水につけて時間が経ったら流しておしまいだったことと思う。まぁそんな牧歌的な雰囲気が良かったのだろうか。

僕はなんだか象徴的で教訓めいたことをいう文章にどんどん嫌気がさしてきた。伝えたいことを象徴的にさも意味ありげに厳かに仰々しく述べ立てることに。わかりやすく明確に伝えるという事にも嫌気がさしておる。わかりやすく伝えるということは分かろうとするプロセスをなおざりにするということだな。

いや分からん。

しかしあれだな、今年1年というのは僕の人生の中でもなぜだか稀有な心の持ちようをする1年だった。好きな女子がいないというのは久方ぶりだったようで、昔からこのようであったようで、いささか本来の自分に戻ったようだった。好きな子がいないということの虚無感を、誰も僕のことを愛する可能性がないという寂寞感を、多分初めて了解した、君のおかげと君のせいでね。