11時くらいに起きて朝飯を食った。棚に置いてあるいくつかの菓子パンのうちから好みらしいものを手に取る。毎朝母親が作って何かを置いてくれるか、または棚に置いてある菓子パンのうちから選んで食べるかのどちらか。一時期は朝食に白米を作ってもらうようにしたのだが、僕の気が悪いと食べずに無駄になってしまうということで(菓子パンであれば僕が食べなければ母親が食べる、白米だと多分母親は食べ切らない)、そのようになっているのだと思う。無論このような習慣に至るまで、僕は特に何という言葉も発さない。それとなく時間が流れて、月日が経っていき、その成り行きでまた別の習慣が作られる。ご飯が作られ、放置され、母親が食べる、または明日のご飯に持ち越される。次の日もご飯が作られ、放置され、母親が食べきれず、次には冷凍保存される。そのうちにご飯を作らなくなり、菓子パンが置かれ、食べなければ母親が食べる。僕がこうして欲しいと望むでなく、成り行きとして母親がそれとなく会話もなしに合わせて、そうなっている。
部屋に戻ってベッドに転がりながらtiktokを見る。マリオカートのゲーム実況。ホリエモンのもっともらしい講釈、佐々木ろうきのピッチング、流行りの楽曲に合わせて腰を振る制服のJK。僕もそれに合わせてところどころリズムに乗ってみる。頭の中にかつて好意を抱いていた女性を思い浮かべる。何年前に会った人だが、昨日あったのか10年前にあったのか、時間の流れが不確かに混じり合い、急に裸になって誰かの名前を叫びながら横たわっている。僕はその乳房を見ながらも、彼女から目を背けて卑しい人々の性的におおらかなるものを非難する気持ちになる。あれではいけない。僕は人々に見られうる場所で裸になって性をひけらかすような女性を好きになりたくない。僕はそうだな、もっと清楚でお淑やかで上品で、あの子にみたいに、あぁ何年も前に出会ったあの子みたいな女性がタイプなんだな。ふとスマホを見ると、知らない動画が流れ続けていた。眠っていたようだ。そういえば少し肌寒いかもしれない。時刻は13:25だった。
ベッドから起き上がってそろそろいい加減起きようとする。ベッドの脇にもたれかかってまたスマホに目を注ぐ。大谷翔平の不調の原因!、9月に買ってよかったガジェット4選、壬申の乱のめぐる論争、制服で踊るJK、スカートが捲れるほど逞しく動き回るJK(見えそうになると軽薄なモザイクが入る)。今日はセリーグのクライマックスシリーズがあるのだと思い出した。野球速報のアプリを開いて時間帯を確認する。14:00プレイボールなのでそれまで時間があるそう。またもJKの動画に目が奪われる。男が踊っている動画が流れるとブロックする、グロ画像と同じだから。ばあさんが爺さんをマグマに突き落とす動画、渋谷で車が炎上している動画、猫がクマを撃退する動画、これらはAIのsora2で作られた動画らしかった。いやにリアルで僕でなければ騙されてしまうねぇと思った。壁にずっと持たれていると腰が痛いので間に布団を包んで挟む。当たりどころが悪いのでまた少しずらしてもたれかかる。これで良し。
公明党の隠された思惑!、高市総裁の経歴と若かりし頃のインタビュー、痴漢・盗撮容疑者を捕まれる私人逮捕系tiktoker、猫と戯れるだけの動画、カップル系yutuberの惚気動画、外国人が語る日本人の良さ。日本人の良さを海外に知らさせるというのはいつ見ても情けないなと思う。こういうのはコメント欄を見てもつまらないので見ない。若い子がセクシーなコスプレで踊る動画、JKでなければ飛ばす。制服ではなければ飛ばす。申し訳ないけれど価値を感じられないから。目の保養のために制服JKと検索して好みのダンス動画を探してことなきを得る。精神安定剤ですらあるように感じる。
しばらく眺めているとまた腰が痛くなってきたので、ベッドに横になる。JKの動画を漁り好みの子のアカウントに飛んでなるべくスカートの短そうな動画をサムネイルから探して見ていく。これはいいというものでもいいねはつけない、コメントもしない、保存もしない。見ることに意味があるから。この制服の色味が好きなのかもしれないと思って、メンションされている別の子の動画もみあさってみる。でもこいつは違ったみたいだ。制服ではないらしい。元のアカウントに戻ってもう一度さっきの動画を眺めてみる。この曲が好きなのかもしれない。楽曲を検索して上位に来ているものの中から制服JKのものだけを、柿ピーからピーナッツを除くように見ていく。やはりこの曲だった。他にも手当たり次第好みと思われるものをスワイプしていって同じ曲の同じパートだけが幾度となく流れ続ける。もう少しスカートが短ければいいのにと、それか軽薄なモザイク(それは見ているものを嘲笑うかのような稚拙なスタンプだったりする)、があともう数センチズレていれば、と思う。
気づけば2時が過ぎていた。1階に降りて外の空気を吸う。2階にこもり続けると下に降りるだけで自然の空気を吸っているかのような印象を受ける。母親がテレビで野球の中継を見ている。巨人が5-0で勝っているらしい、母親は横浜ファンなので心持ち残念そうではある。
「今日はどうする?」
「あぁ、駅前にさ、串カツ田中ってあるの知ってる?」
「まぁ知ってるけど、セブンの上のね」
僕はいささか拍子抜けした。先週から母親の誕生日に二人で飯を食いにいくと約束していたので、どこにしようかと考えていたところだったが、まさか駅前の大衆居酒屋を提案してくるとは思わなかった。
「それより、あそこに行きたい。港南台の3階の寿司屋。ユニクロの隣の」
「あぁそう、寿司ならスシローでも他にもイオンの1階にもあるんじゃない」
スシロー。いやはや母親らしいなと思った。多分母親は生まれてこの方贅沢ということを知らないんだと思う。串カツ田中にしてもスシローにしても、貧乏大学生じゃないんだから、と思ったが僕は貧乏大学生みたいなものだった。
「うんまぁ今日は誕生日もあるし、うまいとこに行きたい。」
「わかった、じゃあいつにする?今野球始まったばかりだから、これ終わってからでもいい?」
「まぁいいよ。じゃあ夜港南台で食べようかね」
ぶり返すようだけれど、串カツ田中とスシローには呆れた、というかそれを通り越していくらか塩らしいと言うかいじらしいというか、いとおしさまで感じなくはなかった。母親は今年で67だけれど、この会話だけでどういう性格でこれまでどんな人生を送ってきたのか、なんとなく分かる気がした。自分よりも常に周りを優先して、自分の欲望を表したりまたは飲み込まれたりすることなく、そしてその溜まった鬱憤を贅沢や奢侈で紛らわすこともなく、控えめでお淑やかに慎ましく、生きてきたのだろう。もちろん人間だから心に思うことや欲望やなんやかんやらあるのだろうけれど、この数十年こういう生き方を続けてきているのであれば、そんな欲望も抑え切ってそもそも存在していないかのように、僕にはそう思える。自分の個性や意思や欲望というものを抑え切ってしまって、とうにそんなもの存在しないかのように、ついぞそんなものに気づかずに日々の生活を送っているように。
夜まで暇になってので荷物を整理して外出することにした。Apple Watchを身につけてスマホを左ポケットに、AirPodsを右ポケットに。リュックにはiPadとkindleとあとは財布と扇子とそれぐらい。そうだタバコを忘れていた。ライターも忘れずに右ポケットに忍ばせた。
駅前のカフェに行って一服する。そういえば今日はお目当てのレディー(女性のカフェ店員)がいなかったな。残念。
ブレンドコーヒーを飲みながらKindleで本を眺める。島崎藤村の「破戒」。しばらく谷崎潤一郎の著作を読みあさっていたけれど、まぁ代表作は一通り攫ったので次の作家に移る。谷崎については後日また書きたいなと思っているが、ことに日本文化を愛するものとしてはやはり欠かせない著作がいくつもあるということはここで述べておく(先日痴人の愛を読んだ時は言い知れぬ嫌悪感に襲われ性急に過大評価だと罵ってしまった気がする)。
「破戒」は明治時代に残っていた被差別部落の話。僕らはそれを歴史の中の1つの事柄としてしか学んでこなかったけれど、こう小説にしてみると差別される人の心情というものが如実に僕の心に届いてきて、いかにそれが当時の人々の人生を奪ってきたかがよく分かる。差別といえば黒人差別であって西洋の産物だと捉えかねられないけれども、日本にも同じように理不尽な差別というものが存在していたというのは心に止めておいて差し支えないのだろう。うーん、僕はこれをどう読めば良いのか少し頭が整理されず混乱するところもあった。たまに巷に溢れる嫌韓や反中、外国人排斥の動向と関連させて考えたり、LGBTやmetoo運動やらの女性の権利の問題と考えてみたり、精神疾患や不登校、障害のある人のことと関連させて考えることもできる。でも僕にはこういう問題というのはついぞなくならないもので、人が人を不明確な理由で忌み嫌うというのは生きる定めのような気がしてならない。それがたまたま僕になったり君になったり彼になったりする。まぁでも、いまは昔と比べればより平等で幸福な時代だな。日本憲法をありがたく思うことだ。あと日本の差別のあり方(特に被差別部落の差別のされ方)と西洋の差別のあり方を比較することは興味深いことと思われる。おそらく幾分か違う。日本の方が陰湿で西洋の方が直接的なのでは。
根岸線に揺られて桜木町で降りる。北口から駅前の広間に出る。祝日なので家族連れや若者で溢れている。コレットマーレの前で人だかりができていて、大道芸人か何かが催しものをやっているようだが、イヤホンをつけているのでよくわからないです。近くまで行けば見えるのであろうが、独り身でトボトボ歩いているだけなので、立ち止まってわざわざ見物するのもきまりが悪いので通り過ぎていく。右手には「ジェンダー平等を実現しよう!」の横断幕を持った学生らしき団体が数人いてビラ配りと呼びかけを行っていた。横断幕の右端の先端を持った女学生と少しく目があった。丸顔で目が細くて柔和なおっとりした雰囲気で、大仏みたいだと思った。ジェンダー平等というくらいならまずは選択的夫婦別姓を実現するべきじゃないだろうか。名前ひとつ変えられない世の中に未来はないのだと思った。
歩く歩道に乗ってランドマークタワーに入る。2階の本屋に立ち寄って興味惹かれそうな本を探してみる。今では読む本のほとんどを電子書籍にしてしまっているが、立ち寄って店で気になった本をネットで購入することもある。ネットで本を探す時と比べて偶然の出会いのようなものがあるのでやはりぼーっと眺めながら本を探すのは面白い。でも本を見歩いているときは決まってトイレに行きたくなる。今日もお腹が痛くなってきたのでトイレを探してまた戻ってきた。どうして本屋にいる時はこうもトイレに行きたくなるんだろうか。
本屋の向かいにレザー専門店があるのでそこもついでに入ってみる。レザーのバッグやリュック、手帳やブックカバー、ネームプレートや筆箱など、ビジネスマンが使う日用品が上質な革で作られており、どれも上品でスマートで、持っているとひとつ格を一段上げてくれるような、そんなブランド。僕はリュックが欲しいしバッグも欲しいし財布も小物入れも全部レザーで揃えたくなるんだけれど、いかんせんお高いのでみるだけに終わる。なぜだか一番目につきやすい場所に真っ赤な色のバッグが置いてあった。誰が買うのか知れない。
ランドマークを抜けてマークイズに向かう。マークイズの前の広間にはこちらも何かイベントをやっていて賑わっている。小さなフェスをやっているようで、音楽が聞こえてくるような気がするが、イヤホンをしているのでよく分からないし、分かろうとしていない。ユニクロに行ってユニクロUの新アイテムをいくつか見渡した。ニット生地のアウターが一番気になったのと、あとはユニクロインラインのダウンが今年から新しくなって、フードのついていないシームレスダウンが出ていて興味惹かれた。多分冬になったら買うと思う。コートだけだと寒がりの僕には厳しい。スーツにも合うようなダウンが欲しいと思っていたのだ。いつものユニクロを見たあとビームスとユナイテッドアローズとジャーナルスタンダードあたりもぶらつくのだけれど、今日は割愛した。というのもいつもより人が多くて混み合っているから、なんだか人の少ないところに行きたいと思ったから。といってもここら辺で人の少ないところなんてまぁ臨港パークとか海沿いの方になるし今日はそこまで時間がないので戻ることとした。