2025/12/14 さぁやる気を出せ!

2025/12/14 さぁやる気を出せ!

今年やり残したことはないかと考えてみよう。健康保険の手続き。いまだにやってない。家の掃除。全く進んでいない。冬期講習の予習、これは結局やることになるのでまぁ良い。スマホの解約。常々ガラケーに機種変更しようと思っていたがいつやるかいつやるかで先伸ばしていた。ダウンの購入。今年は買わなくていいか。トイレに行きたい、これは今行ってくる。戻ってきた。源氏物語の読破。今読んでいるが多分今年中には終わらない。その他今年読んだ本の感想をまとめること、これはここに記してもつまらない気がしてきたので別途ノートを購入してそれに集約することにする。しかしいつやるのかしれない。まだまだ先延ばしにしている事柄が無限にある気がする。しかし思いつかない。思いつかないように無意識的に記憶をブロックしているのだと思う。あとはなんだ。部屋の模様替え。しかしこれは掃除をしないとどうにもならない。デスク周りの模様替え。これも同様に掃除をしないと何も進まないことは明らか。もう一ついうと部屋の掃除といっても自分の部屋と書斎(仮)の2部屋あるので考えただけでも頭が痛くなるので考えるのをやめる。でもそれを進めないと他の物事何もかもが滞ることとなる。部屋の模様替えのために洒落た壁紙と上品な床タイルを購入したのだが、掃除をするのが億劫で開封すらしていない。確か9月ごろにネットで注文してから手につけていない。これいかに。ipad miniを購入したい。ガラケーに機種変更するとしてもLINEやメールのやり取りはパソコンではなく手元で行いたいので必須になると思われる。来年度のやりたいことの一つとして各所に旅行して紀行文を書きたいと思っているのでその準備と材料等等を揃えること。しかしこれは来年やれば良いのではないか。そうだ確かに来年やりたいことをまとめておくこともしたい。しかしそれは今年やり残したこととは関連しないような気がしてくる。考えることが億劫なものは先送りにして考えるとワクワクするようなものばかりに目がいくたちたので物事が進んでいるようで何もかも中途半端になっているのだと思う。来年の授業の予習をしたいと思う。現代文の授業をどうするか検討しなければいけないなと思う。でもそれは来年やればいいのだと思う。まぁ部屋の掃除をこの夜中から始めることはできないのでとりあえず明日それをやるという気持ちだけ持っておくことにする。とはいえそれが明日実行に移されることはないのではないかと思う。

本日から日記帳を購入してそちらに日々の記録をすることとした。今まで一度も日記というものが続いた試しがないのでいつまでそれが持ち堪えられるか見ものだと思うが、2000円くらいする日記帳を用意してしまったし明日は高級な万年筆も取り揃えるようにするつもりなので今回こそはしくじらないようにしようと思った。それがうまくいけば上にも書いたように本の感想や映画音楽レビューなども一つのノートにまとめて記載する癖をつけていきたいと思っている。下敷きも昔高校の時に使っていたものを引っ張り出してきた。その他諸々文房具ユーチューバーを参考になるべく必要そうなものを全て取り揃えておくことにしたい。あとはやる気さえ戻ってくれば万事解決となるように。意欲は誰よりもあるのである。

これを読んでいる人(すこぶる物好きだと思う)はお前はさぞ理路整然と物事を論じて実に合理的にテキパキと仕事をしているように感じているかもしれないが、全くそうではないのである。問題は山積みでありかつそれを常に先延ばしに先延ばしにし続けてきたこの世の怠惰という怠惰を全てかき集めて来たような、そんな優柔不断で傷つくのが怖い哀れな人間なのである。そうだな、傷つくのが怖くて何も物事を前に進められない。物事を前に進めようとするとすぐに自分の弱さ怠惰さに直面することになってそれが嫌だから、弱い自分と向き合うことの嫌さに全てを後回しにしてきたどうしようもないクズ野郎なのである。だからといって女遊びをして愛欲に塗れて堕落するようなこともできない、中途半端に潔癖で自分では何もすることができないろくでなしである。僕に幻想を抱いている人が中にはおられるかもしれないがそれはもうそろそろ取り払わなければならないだろう。そんな醜い自分を曝け出すというのはもちろん僕自身が一番いたたまれない気持ちになるし自分が何者でもないということを宣言するというのかな、天皇の人間宣言のように、僕の人間宣言のようで生きる意味の喪失以外の何者でもないことはわかっているけれど、あぁもう色々自分にはたくさんだから、僕のありのままを表現することとする。失望する人は多くいるかもしれないしそもそも僕自身が最も失望しているのはそれはそうなのだがそれにしてもそうしないことにはもう何も始まってこない気がするので哀れな自分をここに置いておいておくこととする(実に心苦しい)。

いやはやこうやって文字にするとさも高尚なことを考えている風が目に見えてくるようだ。ただこの文章を書いている時というのは僕の頭の機嫌がすこぶる良い時であって、それ以外の僕というのは蝉の抜け殻みたいな無気力人間というほかない不届ものなのでそれを見たら多くの人は卒倒するかもしれない。文章を書こうと思っている自分は偽りの自分であって、ここに僕の本来の姿は現れていないのだよ。文章を書こうとすら思えない自堕落な時が一番自分らしいのにそれを表現することはできない。だって書こうと思えないから。ここで怠惰な僕を時たま表現することはあるけれどそれはまともな僕から見た怠惰な自分であって、多くの部分には目を瞑って当たり障りなさそうなものだけここに記されていることになる。本当の自分というのは君らが思っているよりも遥かに自堕落で怠惰でどうしようもない人間である。こういう言葉で掴み取ることがなかなか叶わないであろうくらいの自堕落さである。そしてその自堕落さは女遊びに耽るというような自堕落さではないのであって、ただのもぬけの殻といった空っぽの自分である。いや女遊びの定義づけにはよるが、場合によっては女遊びもしているかもしれない。自分の心の中に巣食うマグマのようなドロドロしたエネルギーを消化するには何か愚かなことを生じさせないといけないから。「頭の中でよからぬことを考えているものはすでにそのものを姦淫しているのだぞ」と聖書で見たことがあった気がした。それはそうだなと思った。

今日はいつもの散歩コースをただなぞったに過ぎなかった。駅前のカフェ、関内のユニクロと本屋。そういえば関内のカフェでたまに目にする40代くらいの大柄の男にこの上なく不快感を感じた。以前にも僕がそこに行った時、トイレの入れ替わりにすれ違った。尿意を催して席を立ったらトイレが閉まっていてしばらく待った。多分5分くらい待った。こいつは何をしているんだろうと思って、まぁ女性だったりする場合はしょうがないとして若い男だったら中でスマホでも弄って時間を浪費しやがっているんだろうと思っていたら出て来たのはその大柄の男だった。待たせた詫びでもするかと思って顔を見てみたらなんだか不適な笑みを浮かべてニヤニヤしておった。わざと尿意を我慢させて悦に浸っている変態なのかとも取れるけれど、待っている人が若い女子高生ならまだしも僕みたいなもぬけの殻にそんな意地悪をして何になるのかと思った。すれ違ってトイレに入ってみると便器が閉まっていたがどうやら鼻につんとくる異臭がする。おかしいと思って開いてみたら大量の糞がトグロを撒いて中に鎮座していた。何をしているんだこいつはと思った。本当に巻きグソというんだろうか、イラストで描くようなでっかいクソが便器いっぱいに充満していたのには度肝を抜かれた。しかしこんな大量な糞を一体どうやって排出したのか疑問しかなかった。確かに大柄であの体格からしたらこの量というのは考えられなくはないにしても、一気にこれほどの量を留めることができるのか、人体の不思議だと思った。流すことはできたけれど、あいつがした糞だと思うと気味が悪くなって背筋が凍るようなものを思いをした。それにあの不敵な笑みはなんだったんだ。自分の大量の糞を美術品の展示物かの如く見せつけてやったと思っているのだろうか。その大グソ男と今日も巡り合った。見つけた瞬間気持ち悪くて吐き気がした。しかし喫煙所で同じ空間に入ってしまった時はすぐに場所を変えるわけにもいかず(タバコが勿体無い)得体の知れない怪物と同じ空気を吸うことになった。タバコを吸いながら一人でに何か訳のわからぬことを呟いていてやはりこいつは本物なのだと思った。なるべく目を合わせずに、クマの対処法と一緒だ、自分の席に戻った。これが今日のクライマックスだった。トグロを巻く糞というのは現実に存在する。