2025/2/15 ニニンガシでサザンガキュウだ!

特に書こうと思うことがない。

中居氏の性加害問題が落ち着いてきたと思えば、次はオンラインカジノの話があって、また新たなコンプライアンス違反が世間を席巻するのかなと思う。時代が人々の才能を奪っていくのだと思う。そういう時代のそういう宿命にあるのだと割り切るしかない。かくいう僕も以前コンプライアンス違反で会社に咎められたことがあった。大した問題とは思えなかったけど、それなりの制裁を受けて、部署が変更させられた。それによって僕が失うものがあったというのは別にいいにしても、それは巡り巡って社会にとっても損失であるし(僕を咎めた人間もそれが自分自身の首をも締めているということに気づいていなかっただろう)、それは一社会人の一民間企業の小さな問題として処理されていたけれども、結局のところ日本人全体の個性や才能を奪う結果につながっているのではないかと思う。何も自分自身を正当化したいわけではなくて(その問題については僕も悪かったし制裁を受けたし)、それよりもそういったコンプライアンス違反という言葉の名の下に、我々の心に眠る個性や感性、正当な欲望というものが阻害されてしまっているということが、いくつかの問題を生み出してしまっていることに光を当てるべきではないか、ということ。見せかけの正しさというものが、時には必要になるというのは分かるが、生きるということの本質を見失ってしまってはいけない。でもだからといって僕が社会に対して精神革命だとか社会主義革命だとかを起こすこともできないというのがそれもまた、残念という他ない。

婚姻数の減少や出生数の減少ということがある。精神疾患やうつ病患者、不登校生徒の増加ということがある。痴漢や盗撮、捻じ曲がった欲望の追求による弊害ということがある。それはどれも、見せかけの正しさを追求することから導き出された、当然と帰結という他ない。ニニンガシで、サザンガキュウだ。こんなに分かりやすい方程式というものがあるのかって、思うのだけれど、誰もがシ(死)、であり、キュウ(窮)としか捉えないということ。自分らの感性や感覚、正当な欲望に抑圧をかけ、規制することがいかに非人間的な行為かを理解していないために、それらの感性が捻じ曲がった形で社会に立ち現れる、そしてその矛盾は常に見えづらい形で、隠された形で表出する、日本社会の闇として。ともすると大きな問題としては認識されず、社会の必然的な負の側面として、所謂経済の自然失業率みたいなものとして、社会が発展する上で避けて通れない必要悪として捉えられ、大きな問題として焦点が当てられることなく、自然と心の奥底に、海底の奥底に沈んで、そして消えていく、かのように見える。でもそれは僕らがもたらした当然の帰結であって、避けて通れない社会矛盾、自己矛盾を表しているのだから、時とともに自然と浮かび上がって、僕らを脅かしてくる。その都度処方箋を与えるかのように、行き当たりばったりで対処するけれども、その根本的な問題に光を当てなければ当然のように、解決はなされない、いつまで経っても症状は改善しないどころか、さらに悪化する、慢性的な病のようにいつまでも我々につきまとって離れない。

それはそれで致し方ないことだけれど、そしてそれは誰か一人のせいというほどのものでもない、石破首相が悪かったり自民党だったりSNSだったり会社だったりの問題というよりも、どちらかというと歴史的産物であり、時代的な副産物であるから、僕ら一人の力ではどうすることも、なかなかかなわない。でもいつかこれらの社会矛盾が如何なる形かで社会に一石を投じることに、そしてそれが社会を大きく変革することになろうというのは分かる。いつ、どのような形で、誰が誰に向かって、という具体的なことは判然としないが、もしかしたら隕石が落ちるかもしれない、とにもかくにもいずれ起こることなので、今この時はじっとさなぎのように、牛のように、亀のように、その時を待つのがよろしい。