二月になったからといって、次のステージに進めるわけではないということ。1+1は2じゃないよ、というつまらないタイトルのラジオがあったのを思い出して、今もあるのかなと思ったけど、検索するのはやめた、多分やってるから。
「豆まき」という単語が僕の耳を掠め通って、ありし日の鮮やかに彩られた記憶が泡沫(うたかた)のように、眼前に滞る無機質な時の流れが、ねずみ色の世界を形作る。いつぞやまでは自宅でも「豆まき」や「お雛祭り」、五月になれば「こいのぼり」もやっていたかもしれない、それによって人生が彩られているとは思わないけれど、今の僕の人生には「豆まき」すらない、しようとも思わないしする人もいなしする金もない。無気力人間には無機質な生活がよく似合う。お似合いのカップルみたいだな。
のように、眼前に滞る無機質な時の流れが、ねずみ色の世界を形作る-1024x579.jpg)
「無機質な時の流れ」、確かになぁ。僕の瞳に映るありとある光景に、色彩が失われていて、焦点がぼやけて、霧だか霞だかよくわからない自然現象で目が覆われる。そんでもって覆われていて結構だと思う。味気ない風景で、息が苦しくなってくるくらいなら見えてない方がいいのでは。
のように、眼前に滞る無機質な時の流れが、ねずみ色の世界を形作る-2-1024x579.jpg)
さっきの「眼前に滞る無機質な時の流れが、ねずみ色の世界を形作る」というよく分からない言葉をA Iに書かせてみたけど、予想外に心惹かれる絵になった。僕はもちろん悪い意味で「ねずみ色の世界」、味気ない無味乾燥な彩りのない世界、というイメージで使ったんだけど、なんだかオシャレなチャコールグレーというのかな、steinのスウェットかニットでありそうな淡いペールトーンになって面白かった。同じ色でも、ねずみ色の世界というのと、チャコールグレーのスウェットというのと、全然違うものだよねって、でもそれをAIに教えてもらえるということそのものが、やはりねずみ色の世界を表してるよ。
それはそうと、どこぞの交差点の地面が崩壊したという事件を見て、かつて高度経済成長期に整えたインフラが綻びを見せていながらも、その綻びを修繕する気力も体力も余力もない日本を、異国の地で起こる山火事みたいに傍観している僕が、やはりねずみ色の世界になってるとわかる。僕らとは関係のない他人事として脳が勝手に処理をして、インフラ整備も誰かが何かしら、多分優秀な官僚たちが、もしかしたらA Iかもしれない、解決してくれるかのようで、いやというよりも考える余裕もないので自然と忘却せられる。しかし、いつも通っていた道の底がいやまさに突然抜けるというのは、誰にとっても衝撃であるけれど、あんなのは氷山の一角に過ぎないわけで、現実に今この日本社会で起こりつつあることの比喩表現だよ、だって毎日のようにフジテレビが真っ逆さまに転がり落ちていく様子を伝えてるわけだけど、あれだってほんのついこの前まで僕らが寄って立つ地面そのものだったわけだから。それが、いわゆる高度成長期の遺産を一つ一つ丁寧に修繕していく気力も気概も余力もないから、気づいたら崩れ去っていく。まぁそりゃそうだよねって。テレビの中で起こる異国の、対岸の火事のように感じるけど、でも気づいたら今自分が立っているその地面そのものも崩壊するかもしれない、比喩じゃなくて本当に消えてなくなっちゃうんだって、悲しいかな、でも現実はそのようなものだから、あらゆることに期待することをやめような。あと性犯罪は知っての通り、とんでもない悪行なんだ、肝に銘じておけよ、諸君ども。火事だと思って逃げてたら自分が燃えてましたってなるんじゃないぞ。

それよりも僕は、あの穴の中に取り残された70代男性の行方が気がかりでならない。地面の下には地下水が流れていて、運転席に閉じ込められたまま、身動きもできずただ死を待つより他のことがない彼のことを。何よりも恐ろしいのは、考えるだけで身の毛もよだつ思いがするのは、ことに水が流れ込んでくるということ、そしてその水に溺れて息絶え絶えになって命を落とすかもしれないということ、息ができなくなって死ぬということが僕にとって何よりも、恐ろしく感じられる。他の人はどうなんだろう。僕は死ぬとしても、溺死はしたくない。津波に流されるとかだと瓦礫に頭を殴られてすぐ気を失うだろうからまだいい、水が徐々に流れ込んできて(タイタニックのシーンを思い浮かべる)、息絶え絶えになって死んでいくのが何よりも恐ろしい。ジョーズなんて別に怖くともなんともないじゃないか、サメに食われるだけだから。
「息をする、鼻から空気を存分に吸い込む」という行為は、僕ら人間にとって「生きる喜びを表している」と聞いたことがある。鼻呼吸がうまくできない人は概ね、「人生の生きる喜びを感じ取れていない」ということ。僕が苦しみの中でも特に「溺死を恐れている、空気を吸い込むことができない状況を恐れている」というのは、何か意味があるんだろうか。
自分自身の一つ一つの言動や仕草というものは、いやそれ以上にふと思い浮かべるイメージや感情、感覚というものには、それぞれに深い意味が含まれているのだと思う。僕が何かにつけて、「空気を吸い込むこと」に「固執している」、いや固執しているというよりもなんだろう、「自然と関係付けられている」というのかな。それを意識させられるというのは、誰かが僕に何かを伝えようとしているのだろうか。
でも「誰が?何を?」
「息を吸いなさい」と、「人間の生きる喜びを感じ取りなさい」と。
「人間の生きる喜びってなんですか?」
「それは人によって大きく異なるものでは?」
「僕の場合の空気を吸い込むとはどういうことですか?」
「人を救うことですか?」
「人を導くことですか?」
「腹一杯食べることですか?」
「生きる意味を考えることですか?」
「セックスをすることですか?(そういえばしばらくしていない)」
「世界平和を謳うこと?」
「仕事に打ち込むこと?お金を稼ぐこと?自分の個性を爆発させること?神に祈ること?(改行が煩わしくなった」

あのこれ、面白くって見てます。稚拙な恋愛番組だと思う反面、もし僕がイケメン男子高校生になって女に言い寄られたら・・・!という謎の妄想が、捗るのなんの。いいじゃないですか、たまには机上の空論で思考実験をしてみたって。それ以外のシリーズは見たことがないけど、今回のシリーズは美男美女ばかりで、そんでもって高校生って男がほんとに女々しくて不甲斐ないから(僕自身がそうだった)、俺が代わりに口説いてやりたい!と鏡も見ずにとんでもない妄想を繰り広げるのだった。以下、妄想の世界に取り憑かれる。
僕はじゅりちゃんとはるなちゃんが可愛くて好きになり大人っぽいはるなちゃんにアプローチをかけて多分撃沈する。さとるくんは見てるだけで面白く、そして噛めば噛むほどさらに面白く、友達としては有能で最も味方につけておくべき人物、敵にすると終わり。ひなのちゃんは僕と付き合ったとて、多分相性が合わなくてすぐに別れることになるのでアプローチをかけない。ひなたちゃんは僕も興味がないしあっちも僕に興味がない。たくやくんは何のセンスも無いポンコツ野郎だが、はるなちゃんは僕よりもポンコツを選ぶ、多分ポンコツが好きなんだろう。僕はれおくんみたいなイケメンどっちつかずクソ野郎になりたいと願うが、天にまします良心の語りかけによって誠実な人間を演じざるを得ないため、どっちつかず野郎に撃沈するのであった。ちなみに僕の妄想の世界であっても、のあちゃんとさとるは成立しない。