
昨日が月曜日で今日が火曜日、明日が水曜日でそのあとが木曜日。それ以外の違いについて考えるのをやめた。1日1日がもっと特別でスペシャルな記念日みたいであれば良いのになって思う、毎日がエブリデーという感覚を日々忘れながら生活しているから、つまり僕らの一日一日は毎日がエブリデーなのにそれらを記憶の彼方に追いやって日々の仕事に忙殺されるということ、雑多なカラクリに惑わされ続けているということだから、大切何かを日々忘却し続けている毎日だから。宗教的な世界観の復活を心待ちにする。というのは彼らこそ、毎日がエブリデーなるものの創始者だから。でも宗教は流行らないな。どうしてだろう。ネットのつまらない誹謗中傷が蔓延るくらいなら宗教的な盲目的世界にどっぷり浸かった方がよろしいのではないか。
今日好きのそのちゃんが可愛かったけど、レオくんといっさが不憫すぎて見るのが辛かったな。高校生の恋愛なんてそんなものだからもっと気楽にすればいいのにね、ネットで叩かれたりとか事務所からなんか言われたりするんだろうな、僕らは外野で何も影響が及ばないところからあることないこと言いたい放題だけど、彼らには彼らなりの考えがあるんだと思った。もともと中高生向けの稚拙な恋愛バラエティーなので真剣に考える必要はないのである。それにしても告白の言葉とか日記の内容があまりにもひねりがなさすぎて失望した。僕だったらもっと文学的な文字を並べるだろうね。でも結局のところそれをストレートに伝えようと捻じ曲げて伝えようと同じことなのではないかと思った。あるいは視点を変えてみて、直線的な生き方とねじ曲がった生き方と、行き着く方向性は同じなのだから、どちらでもいいというのは、でもそこにこそ生きる意味があるのではないか。僕のねじ曲がった生き方と豊かな生活を育んでる直線的で通り一辺倒な生き方と、行き着く先が同じだから同質の人生なんだと物事を単純化するのはいただけない。そのささやかな違いが僕らにとってすべてなのではないか。帰結主義というのは限界があるんだと思う。すべてを結論から考えるというのは稚拙な考え方であり、生きるということの本質を忘れ去ったものの戯言となる。結論はすべて同じであるから、結論から語ることは無意味というほかない。ならば、一つ一つのプロセスに拘れということだろうか。まぁそういうことだろう。でもそのプロセスがこんなくだらないチラシの落書き程度では何ものも生み出さないって?
どうでもいいことばかりでもう何も書く気が起きないな。明日と明後日と明明後日の区別が付かない。すべてが同じスピードで同じ質で過ぎ去っていくから。それは近代的な直線的で無味乾燥な時間意識がそうさせるのだとかいうつまらない詭弁にもうんざりするけど、あぁ花粉症なのか風邪なのか分からないけど鼻がムズムズして鼻水を噛むことが生きているということの唯一の証なのだと思うと実に情けない。昨日と今日の違いが鼻の調子の良し悪しでしかない。
ただ生きるのがちょっとメンドー
何もいらない パパとかママとか
うざいだけ 親友なんてかったるいし
メル友だけで十分だし
生きることに向いてなくて
白けてくるし 産んでと頼んでないし
欲もないしバカみたいだよね
エクステつけた 睫毛が濡れる
I’m crying
AKB48 / I’m crying
ふとAKBの昔の曲がいい感じだと思った。2010年のまだらなイメージがまだ僕の心を支えてくれているというのに、2010年という字面を見ると、やけに昔のことのように、2025年からかけ離れたもののように感じる。実際に15年も経っている。でも僕の心の中では15年という時間の流れが同じように流れてくれない、それは2005年だって2000年だって同じじゃないか。まだ2005年、2010年を彷徨っている亡霊のようで、成仏し切っていない怨霊のようでもあり、でも時は刻み、月日流れ、季節が変わり、鼻水が出なくなって、桜が満開になる。そうだね、桜が満開になってるよ。

あぁあともう一つ。やはりネットの誹謗中傷というのは、僕ら自身の矛盾の現れなんだと思う!僕らがそれを求めているのだということを認識すべきだ。批判すべきは見えない匿名の誰かではなく、目に見える僕ら自身なのだ!あぁこの真実をどのように伝えたら良いか・・・!