
教室の机で 眠っているよりも
新しい世界の扉を開けよう
自分らしさは それぞれさ
道が分かれるように
いくつもの未来が 広がっているよ
どれを選ぶか決めればいい
自分らしさは 色々さ
人の数だけあるよ
僕ら僕らしく 君は君らしく
夢のゴールへ向かって 歩こう
AKB48 / 自分らしさ
高校の頃からアイドルが好きだった自分にとって、理想的な異性が手元のスマホの中で常に微笑んでくれているというのは、誇張した表現かもしれないけれど、生きる支えのようなものになっていたと思う。それが醜悪な商業主義に組み込まれていたり、金持ちの養分となってしまっていると認識していたとしても、僕自身の心の拠り所がまさにアイドルのささやかな微笑みであり、俯瞰的で客観的認識というものは頭の片隅にはあっても、見過ごされることになった。もちろん虚像のアイドルに心を奪われるというのは生身の女性を愛することができないという点、一方向的な矛盾した偏愛という点においても、正当な人間の在り方からは浮遊しているかもしれないけれど、僕の生きた、僕が生きている時代にはそのようにして矛盾した疑似恋愛だけが、巡り巡って自分自身の心を癒す拠り所になっていたというのは良し悪しは置いておいて、疑いのないことであるし、今でもその傾向は若者の中で、僕の心の中で残り続いていることと思われる。
それらが本来的な人間の生き方には反していると、一時期からか思うようになってアイドルへの盲目的な偏愛というのは極力避けるようにはなった、それでも最近になってもまだそのような疑似恋愛への潜在的憧憬というものが、失われていないのだと思う。矛盾した心のうちをどうしても表出することが叶わないというのだろうか、大っぴらにアイドルやありきたりなインフルエンサーのことが好きだというのが憚られる、この歳になってまた高校生の時のようなことはしたくないというか、同じ道を堂々巡りしているような気がして、なんだか情けないから。こういう行き場のない心の中の矛盾をどう考えたらいいんだろう。若者の、つまりティーネイジャーが一時期に理想的な異性への憧れが衝動的に生まれてくるというのは確かに、昔からあって然るべきものではあると思うのだけれど、それがいつまでも歳を食ってからも僕の心を離れていかないというのは、まぁ僕自身の稚拙な年不相応な心性を表しているのだろうか。それを社会のせいにすることもできる。社会が僕らの心を奪い続けるように仕向けている、アイドル産業そのものの存在が僕らの心を汚しているのだから、純粋無垢な僕の心に図太い強欲な人間が目をつけて、搾取していく、貪り取っていく、僕の心が金持ちの養分として剥ぎ取られていく、そういうつまらない詭弁を並べ立てることもできる。さあどうだろう。
でも結局のところそれらを求めている僕自身の心に欠陥が見て取れないこともない。海外ではつまらないアイドル産業なんて日本ほど流行らないじゃないか。僕自身がそれを求めているから、僕自身が剥ぎ取られることを求めているからアイドル産業が成り立つのではないか。でもそれらもすべて日本社会の矛盾した社会構造のせいだよっていうことは容易い。あぁどうでもいいけどね。痴漢や盗撮、矛盾した性愛、ポルノ動画の撹乱や女性アイドルの卑猥なダンス、間違った誘惑、捻じ曲がった欲望、どれもこれもお前らのせいだって。いや、それもこれもまた僕らのせいなのか?僕らが間違った性愛を求めているのか?僕自身の心の奥底にあるものこそ捻じ曲がったものなのか?そんなことを僕は認めたくない。心の奥底に眠る純粋無垢なパトスを否定することは生きることそのものを否定することになる。生きる欲動や情動衝動というものを否定したくはない、でも否定しろというのであれば否定することになってしまう、それは本当に正しいことか、とても残念だ、誠に遺憾というほかない、生きている意味が消失していく。

うーん何が言いたいのかっていうとね、僕はアイドルが好きだったし今も好きでそれによって心が洗われる気がするというのはこの捻じ曲がった社会においては必要悪として適切に機能している証左ではあるものの、それは本来的には正しくなく、生身の女性を双方向的に愛すのが正しい生き方だと僕自身わかっていながらそれを現実のものとできないというのは、巡り巡って君のせいであり、そして僕のせいでもあるということである。アイドルは固定的で捻じ曲がったこの日本社会においては機能しています。何をするにもコンプライアンスがどうだこうだ言われる中では、もちろん中居氏や松本氏の例を挙げれば十分だろう、僕らの心は捻じ曲がっていくほかないし、盗撮や痴漢や風俗やなんやかんや、そこに若い女性を性の商品として売り続ける(まさに春を売るというような)アイドル産業が興隆するというのは必然的なものとなるだろう。つまりそれらは必要悪として、僕らの捻じ曲がった心を癒すものとして機能しています、その点においては評価されて然るべきだし、僕は彼女たちに感謝申し上げるべきですらある。ただそれらは本来的には間違っている。間違っているのだけど、間違っているとわかっていながら間違った方向へ進まざるを得ないのです、どうしてかといえばそれを一部の稚拙で本質を見失った人間がそれらを求めているからです。
でも彼らは何を求めているんだろうと僕には不思議で仕方がない。多分、破壊を恐れているのでしょう。破壊とは心の破壊です、そもそも心とは破壊されるものです、完成しているものではなく、破壊されながら完成へと近づいていく、そしてその過程こそが生きるということそのものなのです。
But I’ve had to let it break a little more だけど私の心はもう少し壊れた方が良いの
Cause they say what’s it’s for 心は壊れるために作られたっていうでしょ
That’ how the light shines in そうやって光が入ってくるの
Lana Del Rey / Kintsugi
