仕事が休み。
兄貴が帰省してきた。すこぶる不快である、存在が。
大リーグの試合を見た。ダルビッシュの投球に恐れ入った。まだまだやっていけるな。
カフェに行った。本を読んだ。川端康成の「眠れる美女」。目の前に眠っている裸の若い女性が横たわっていたら、相手を奪うか自分を殺すかするだろうと思った。老衰の悲しみを想像したがすぐに消え去った。
もう一冊「千羽鶴」を読みかけた。高校教師(国語)の不道徳的な物語で、これはよろしくないなと思った。だけどもなぜだか自分も罪悪感に苛まれていく。「嘘をつくとその嘘が後ろから追いかけてくる」。
その後考えたこと。「世界の倒錯について」「無垢な高校球児をもてあそぶ見えない大衆」「誹謗中傷に病んだアイドルのインタビュー記事」「精神病患者が正常で、見えない大衆が異常だという僕の見方は正常か異常か」「日本のミニマリズムと西洋のミニマリズムの違い・侘び寂び・アンティーク・昭和レトロ」「没個性的なで安価なニトリ製品と個性的で味わい深いレトロなアンティーク家具」「川端康成は死んだ」「童貞が恋愛を語ること・恋愛禁止のアイドルが恋愛ソングを歌うこと・哲学者が死について語ること」

抽象的な思考を続けていたら風が恋しくなって散歩した。時計は16:30を指していた。まだまだ十分に暑い。
あるトンネルを抜ける手前で、周りに生い茂る雑木林からツクツクボウシの大合唱を耳にした。カエルもびっくりの大演奏だった。そろそろ夏も終わりに近づいているのだろうなと悟った。僕の人生は夏どころか、まだ春にもなっていないなと思った。トンネルに入ると車の走る鈍い音がこだました。あたりが暗くなり無機質な泥の匂いがした。狭い通路を心も狭くしてトボトボ歩いた。ツクツクボウシの大合唱が急に恋しくなった。トンネルを抜けるとミンミンゼミのソロパートが鳴り響いた。まだまだ夏は終わっていなかった。
近くの公園を探し求めて歩いたけど迷子になった。たまたま辿り着いた「けやき公園」なるところにけやきの木がいくつも聳えていて、その木々の奥間から差し込む夕陽が美しかった。葉先に黄色い閃光が反射してキラキラ輝いているその一瞬に、心をときめかせた。もしかしたらもっと美しく見える画角があるやもしれない、と思って別の角度から葉先に目をやると、もうその煌めきは失われていた。あわててもとの位置に戻ってもう一度その一瞬を確かめようとしても、もとには戻らなかった。

階段を登って展望台に出るとみなとみらいが一望できて、家からほど近いところなのに今まで知らなかったことが不思議だった。ランドマークタワーや観覧車も見えて良い眺めだったのだけれど、手前にある説明書きから、見えている景色のほとんどが戦後の埋立地なのだと知った。ランドマークタワーも観覧車も、自然を破壊して作り出した人工的な美しさであるとともに人間の業の深さに思い至った。

家に帰って映画を見た。白黒映画は趣があって良かった。昭和や大正時代のレトロな雰囲気に心惹かれる。でも決まって彼らは悲惨な運命を辿っている。映画の世界だからなのか、現実の世界でもそうだったのか。川端は自殺したし三島も太宰も芥川も自死した。もちろん特攻隊員も自死したし彼らを亡くした未亡人の女たち、そして戦争孤児の群れもまた心は死んでいた。
僕らの世界には趣はないけれど、悲惨な運命もない。
眠れないので「よく眠れるクラシックピアノ40選」を掛けた。
この文章が出来上がった。おつかれサマー。
