雨のち曇り。寒さ、中程度。駅までの道すがら、梅の花がちらほら咲いているのを見かけるようになった。駅構内の一角に、ひっそりと生花が飾ってあって、そこにも梅の花が微笑むようになった。家の前の花壇には水仙の花が顔をもたげているのに出くわす。気づけばマフラーをつけなくなった。めんどくさくなったのかどうなのかはよく分からない。薬局に行くと花粉症の薬が目につき出すようになった。春の足音がどこからともなく聞こえてき出しているような気がした。
カフェに行ってアイスコーヒーを飲む。これは春の訪れではない。実は最近身体を温めすぎるのが良くないのではないかと考え始めて、時たまアイスコーヒーを飲むようにしている。鼻炎がひどいというのは漢方で言うところの「血熱」といって体内に熱を持ちすぎてしまっているからだということなので、じゃあ熱は下げればいいのではないかと思い、とりあえずホットコーヒーよりもアイスコーヒーに気が向けばしてみる。特にそういった診断を受けた訳でも、ホットコーヒーが体に悪いと言われた訳でもないのだけれど。
武者小路実篤の「友情」を読む。普段は電子書籍で読むのだけれど、こちらはなぜだか紙の本しかないのでやむなく本を買った。ブックオフで350円。表紙を見られるのが恥ずかしいのでブックカバーをする事が多い。でも今回はつけるのを忘れた。表紙をうまく隠しながらカフェでは読んでいく。特に危険思想という訳ではないけれど、他の人から文学作品を読んでいると思われたくない。やけに気取っていると思われたくない。小難しいことをわかるはずもないのに読んでいると思われたくない。読んでいるのにすぐにその内容を忘れていることを知られたくない。突然本の内容について詰問されたらまごついてしまう自分に出会いたくない。
内容を今思い出そうとしたがよく覚えていなかった。友情の話。若い青年の三角関係の話。白樺派の作品らしくキリスト教的な理想主義が全面に押し出されているような箇所が印象に残ったと回想した自分のことは覚えているが、どの場面に理想主義が表れていたのかはよく覚えていない。夏目漱石の作品とだいぶテーマが被るのでもう一歩特徴があればいいなと、これも読み終わった直後に思った感想は覚えているが、その具体的なシーンはよく分からなかった。他の作品も読みたい。ただ買いにくのが面倒臭いので同じ派閥の有島武郎の作品を読むことにした。「小さき者へ」「或る女」。Amazonで無料で購入した。
港南台に行ってうどんを食った。フードコートに行くといつもより人が多くて落ち着けないなと思った。そういえば今日は祝日だと思って合点がいった。おろしぶっかけの冷たい小とコロッケを食べた。美味かった。毎日のように食べているけれど、毎日のように美味しいと思う。都合の良い舌をしていると思った。中学生や高校生の群れが一部の座席を占拠していた。うるさかった。女子高生ならまだしも、男どもが群がって騒いでいると、早くこの場から立ち去りたくなる。無論すぐに立ち去った。カウンター席に座って一人黙々と飯を食らっている4、50代くらいの独り身の男たちには多少親近感を感じるものの、いささか哀れな感じがする。そして僕も哀れな目で見られているのだと思う。カウンターに座って、目の前の観葉植物と睨めっこをする独身男性というのは自分で考えてみでも哀れだと思う。
ユニクロに行く。春夏のUNIQLO C新コレクションを楽しみにしていたが、この店舗では取り扱われていなかった。代わりに値下げされている冬物のアイテムをいくつか見漁った。ハイブリットダウンが7990は格安だろうな。買わないけど。シームレスダウン(フードなし)は12900はもう少し安くならないのかな。春物のジャケットでいいものがないかな。スエットパンツのベージュがいい色をしていた。グラフィックTの新作が出ていた。ウルトラライトダウン(去年のもの?)が安売りされていた。そういえば今年はパフテット(中綿)ジャケットが今までのウルトラライトダウンの役割を担っているらしく、ウルトラライトダウンはあまり売られていなかった。ダウンの原材料が高いのか、それとも中綿の方が暖かいのか、そんなことはないだろう。
本屋に行く。有島武郎の作品を一応探す。ない。武者小路実篤の作品を一応探す。「友情」はある。意外とこれは人気なんだなと思う。高校の教科書にも一部載っているらしい。確かに学生向きな内容かもしれない。他の作品はない。読んでみたいのは「めでたき人」「人間万歳」とかいうタイトルだった気がする。武者小路実篤はトルストイの影響を受けたということだった。トルストイの作品を読んだ事がないので探す。あった。「戦争と平和」。分厚い本で1・2・3・4と超長編物だった。手にとってすぐに棚に返した。長い作品はなるべく読みたくない。読み終わる気がしない。特に海外文学は背景知識がないとさらによく分からなくなる傾向にあるので短い作品が良かった。いつか読みたいが多分いつまでも読まない。そう考えると学生時代(悪しき留年時代)にドストエフスキーを一部読んでおいて良かった。しかしカラマーゾフの兄弟は30ページくらい読んで諦めた。白痴は一応全ページを捲った。読んだというかページを捲った。全く内容を思い出せない。変な女が発狂していた気がする。最初に列車で男が眠っているシーンがあった気がする。死刑の残酷さについて長々語っているシーンがあった気がする。それは罪と罰か?忘れた。文学雑誌を手に取ってみる。こういうのも読んだ方が良いのだろうか。過去の名作だけではなく、話題の作品も目を通した方が良いのか。さらさら捲っていると田中慎弥氏の短編小説が目につく。日本の排外的な保守主義に対して警鐘を鳴らすような文字が見えた。ふーんと思った。すぐに本を閉じる。あんまり時代に流されちゃいけないな。自分は影響を受けやすいタイプだからこういうのをみるとすぐ真似したくなるし反発もしたくなっちゃう。見ないほうが先決なのだろう、自分の核となるものを見定めるためにも。
家に帰る。電車に乗る。遠目に一人の老人が目につく。母親に似ているなと思う。よくみると多分母親だった。声は掛けずに最寄りで降りた。母親が後ろから降りてくるのを背中で感じ取った。多分僕に気づいていない。

部屋に戻って観葉植物に水をやった。花瓶に刺している枝木は水を入れ替えた。多分1週間ぶりくらいだった。旅行に行っていたからそれ以上かも。もう少し丁寧に面倒を見るべきだと思った。でもまだ間に合うと思った。部屋の空気も入れ替えないと思って網戸にした。寒くなった。すぐに閉め切って暖房をつけた。そういえば駅から帰る道すがら、大学時代の自分は小説や詩を読むときに、「小説っていうのはなんとも無責任なものだな」とよく思っていたのを思い出した。自分の意見をはっきり明言せずにただ心の赴くままに表現するというのは無責任極まりないと思っていた。社会問題に深く切り込むことをしないしその内奥の根本原因を突き止めようともしない。さらには自分の立場をオブラートに包んだまま解決策も提示せずにそれらは読者に全てを委ねる。「答えは風の中に舞っている」と。「答えは風の中になんかない!」と当時の僕。「そんな無責任な態度で許される文学者やアーティストというのは楽でいいな!良い身分だな!」という当時の僕。トボトボ歩きながら、今の自分だったらそれにどう反論するのだろうと思った。特に思い付かなかったが、あの頃の僕をよく表したエピソードだなと思った。
