2026/3/25 医学部君の王手飛車取り 〜墓参りにもの思う〜

2026/3/25 医学部君の王手飛車取り 〜墓参りにもの思う〜

親戚のものどもが墓参りを兼ねて家を訪ねてくる。いとこは今年大学受験があって見事国立の医学部に合格したということだった。国立の医学部。並大抵のものではない。偏差値お化けである。子供の頃からどこか秀才の雰囲気を漂わせていたが、それほどとは思わなかったのでなんだか申し訳ない気持ちになる。1、2年前に話した時、受験の極意を教えて欲しいと言われたので、さも成功者の如く「メリハリをつけて勉強すること、家で勉強するやつは二流、塾で真剣にやれば家では遊んでて良い」とかなんとかほざいていた自分が急に恥ずかしくなった。相手の方が100倍頭が良かった。そんなこんなで会うのが億劫になる。そもそも今の自分の職があまりにも曖昧で不遜な立場にいるので何をどう責め立てられるやも分からない。まともに働けだの金を払えだの結婚しろだの子供を作れだの、言われたことはないにも関わらず何も言わなくても耳障りな単語が頭から離れない。それでも墓参りに行かないというのは世間体上よろしくないので苦吟しながらも参加することとする。

お寺の本堂で集合。兄貴の車で行く。兄貴も相変わらず憎い格好で顔を見ただけでもうお腹いっぱいな気がする。会話は絶対にしない。もしかしたら死ぬまでに一度も話さないかもしれない。母親は珍しく春用のコートを羽織り月並みな装いになる。いつもはそんな服を着ない。そんな自分も普段よりまともな格好をする。見栄を張るのは一緒だな。兄貴は見栄というものをよく知らない、いつも同じ格好をしている。

本堂の待合室に行く。すでにいとこ親子が待っていた。千葉からはるばる車できたものの疲れというものは感じられない。おばさんは前より若返った気がした。おじさんは前と変わらない。医学部君は医学部らしく秀才っぽい身なりと顔立ちになっていた。前はもう少し田舎っぽく男子校っぽい感じがあったというのに、今日はセンター分けにウェリントンのオシャンなメガネを添えて満足そうな笑みを浮かべていた。医学部に受かったからそうなったのか、そうであったから医学部に受かったのかしれない。僕は彼に引け目と言うほどのものは感じないにせよ、あまり大仰なことは言わないように注意して慎重に言葉を使おうと思った。

「大学はどちらに?」わかっていることを一応聞く。

「〇〇の医学部です。」満足げに答える。

「医学部!!??」わざとリアクションを取ってあげる。

「そうです、なんとか受かったんです」

特に嬉しそうでもないのがなんとも憎らしい。あえてリアクションを取ってあげたにも関わらずそれに対して笑みひとつ浮かべずにさも当然であったかのようである。ますます自分が惨めになりはしまいか。

「ところでいま何をしてらっしゃるんですか?」医学部君が問う。

「大阪の方の大学で准教授をやっとります」兄貴が答える。なぜだか貴族みたいな喋り方をする。鼻につく。

「僕は変わらず塾講師を」くっ、痛いところをついてくるぜ、こやつ。

「どの塾でしたっけ」そこに食いつくか。

「えーっとあれです、〇〇ですよ」くっ、大企業じゃないってか、教授に見劣りするってか。くっ、短い質問でこれほど相手の本質をつくとは。アキネーターチャレンジでもやれば良いのに。

「へぇーそうなんですね」興味がなさそうだな、眼中にないんだろうな。それはそう。しかし君が勉強しようとしているその西洋医学というものは僕から言わせればまやかしに過ぎない。西洋に毒された君には到底理解できないであろうから僕は言わない。

「ほら、先輩のこうきさんに大学での心得とか聞いておいた方がいいんじゃないの」おばさんが促す。多分僕は何も喋ろうとしないし気難しいやつだからあえて簡単な質問をさせて場を和ませたいのだろう。

「大学でなんか気をつけた方がいいことありますか」多分思ってない。医学部君であればある程度知ってる、僕が忠告を与えるまでもない。

「うんそうだね、早めに車の免許でも取っておくことかな、大学に入ると・・・」

「もう取ってますよ。この休みの間に通いでとってしまって」

「ああそう、」クッ、、、こいつ・・・できる、のは知っている。

「じゃああれだね、一人暮らしをするのであれば家具一式を揃えておかないとね」

「ああもうほとんど揃ってます。母が買ってくれて」

「あとは他にはね、」何か墓穴を掘りそうで怖い。何を言っても先回りされているような気がする。

「朝早く起きるにはどうすればいいですか、実は朝が苦手でして、、、」医学部君、王手飛車取りをかます。

「ほう、それはねぇ、僕はいつもあれだからなぁ、ほら、朝が遅いから、塾講師は午後から勤務だし・・・」痛いところをずけずけとついてくる。どちらへ転んでも怪我をするような一手だった。僕はかれこれ30年、早起きをした試しがない。

僕はもうめんどくさくなってしばらく黙る。すると大体兄貴がつまらない話を長々する。最近の学生の話。スマホは使えてもパソコンは使えない話。ワードとエクセルすらままならない話。学会が地方であるという話。入試システムの複雑化の話。面接試験で見ているところ。大学でのマナー、注意点。

そうそう、そういう話を聞きたかったとばかりに医学部君が質問を投げかける。つまらない会話が続く。僕は何も話さない。話を振られない限り何も話さない。墓穴を掘らないように自分の陣地だけを守る。

住職に呼ばれ本堂で三回忌を行う。靴を脱ぎ大きな本堂に入る。真ん中に仏像があってその周りには煌びやかな装飾物が所狭しと並べてある。花や果物、あとはいくつか蝋燭が灯されている。その蝋燭が偽物であるか本物であるかの見分けがつかない。仏像も本物であるか偽物であるか見分けがつかない、というのは言い過ぎか。長椅子が用意されていてそこに座る。正座ではなくていいのがありがたい。腰を下ろして足をつけると電気カーペットがあって暖かい。暖房もおそらくついている。眠くなりはしないか心配ではある。住職が挨拶をしてそのまま椅子に座り読経を始める。ところどころで木魚を叩く。静寂の中に読経の声が鳴り響く。「チーン」。

僕はなんのために生きているのだろう。お寺の中で無意味な問いを発してしまう。自分は生きる意味を有していない不遜な人間なのではないか。救われる救われないということはどうでもよくて、今現時点で僕はいる意味があるのかどうなのか分からない。医学部君と比較して僕に一体なんの価値があるかしれない。兄貴と比較して一体自分に何があるか知れない。読経は鳴り止まない。甲高い金属音が鳴り響く。「チーン」。自分の人生の終わりを告げる鐘の音にも聞こえる。「チーン」

読経の終わりの方にそれぞれ一人ずつお焼香。母・叔父さん・兄貴・いとこ・おばさん・自分。なぜ自分が最後になったのだろう。自分になんの価値もないからかも知れない。仏様は見ておられるのだろうか。その後お経が記されたプリントを渡されて有名な箇所だけ一緒に音読する。「南無大師遍照金剛 7返」とあるので7回小さな声で呟く。隣に座る兄貴は声を出さない。なぜか知らない。僕は一応出す。仏様が見ておられるから。「南無大師遍照金剛」。発音がこれで良いのかよく分からない。発音の違いを咎める仏様だったらどうしよう。そういえば父親の法事の時、祖母が熱心にこの読経を音読していたのを思い出す。その時は僕は音読していなかった。今回はする。

最後に住職のありがたいお話があった。内容は覚えていない。あとはお墓に挨拶をする。歩いて向かう。少し肌寒い。コートを着てくればよかった。墓石を前にすると色々な思い出が立ち込めて気がしないでもない。父親・祖父・祖母の亡骸が埋まっている。それぞれ何を思うだろうか。僕は何を間違えたのだろうか。墓石に面と向かって相対することができない。目を背けてしまう。そこに父親がいて、祖父母がいて、目の前で話しかけられたとしたら僕はどう取り繕うのだろうか。あるいは庇ってくれるのだろうか慰めてくれるのだろうか叱ってくれるのだろうか。何も言えない。線香をお供して合掌する。何も願い事を言わない。報告ごともない。ただ念ずるのみ。

帰り際におばさんが一言。

「うちはもう墓じまいにしようと思うの、母が亡くなった時も海に散骨したのよ」

「そうよね、管理とか大変よね、うちもいつも雑草がボーボーになって大変で」母が答える。

「だからもうそんな面倒ごと残す(相続する)くらいならいっそ海に撒いてくれた方がありがたいよね。私もそうしてちょうだい、ねえあなた」おばが言う。

「おう、そうか。」叔父が言う。興味がなさそう。

僕はそれを聞きながら思う。墓じまいなんてあってはならないことだ。人間開闢以来行ってきた埋葬という行為をしなくなる。一体何が残る。何のために生きる。僕らはどこに向かっている。意義がどうだとかわからないにしても墓を持たないということは先祖への冒涜ではないか。生きるということの死ぬということの冒涜ではないか。そんなことを思うのにも関わらず、僕は仏教徒だかどうだか怪しいし強い信仰心があるわけでもないしそもそも生きる意味がどこにあるのだかわからない。でもお墓は必要だと思う。そしてそれを口には出さない。