2025/11/8 雑記

書こうとしたこと。浪漫主義の廃退。無意識の敗北。夢破れた後の景色。夢のあと。

自分の心持ちにソワソワしたところがある。それをどうにかこうにか落ち着けないと他の仕事が全く手につかない。何をしても心が浮ついて気が散ってそのことばかりに考えが移ってしまう。日付を見る、あとどれぐらい自分には時間が残されているだろう、曜日を聞く、今日はそれが叶わない日だ。ボールペンを手に取る、そう言えば彼女は左利きだった、そして割に手が大きいのに、爪の形は子供みたいに小さいんだった。手の形によって性格診断ができるとネット記事にあったので信憑性の不確かな情報に一期一憂する。彼女は実はこう言う性格を心に抱いているのかもしれない、いつもの振る舞いは見せかけのようなものかもしれない。いや、そんなことは頭で想像したって分りゃしない、仕事に取り掛かろう。その前にテレビでも見るか、ドラマの再放送がやっている、女性が男性を呼び止める、意味ありげに女性が言葉を詰まらせて、何かを言おうとするが言えない。顔がアップになる。あぁあの子はこの女優みたいに前髪を上げたとしても似合うかもしれない、それかもっとロングにして髪色も変えればさらに化けるかもしれない、というより周りに人は気づいていないみたいだが、素材はすこぶる良いのだと思う、どんな味付けをしてもそれなりにいただける、、、。あぁそうだ。

これではいけないのだからソワソワを早く退治せねばならないという結論に至る。これは白か黒かはっきりさせれば良い。白か、黒か。黒だったらおかしい、僕がこれまでうだうだと続けてきた問答がすべてうわっつらの歪んだ思考のみで心の奥底から生まれてはこなかったものだとしたら、僕は僕自身を疑う。いや、僕自身の思考よりも僕自身の感覚感情を慕う僕としては、感覚感情の導く行動は間違いを決して起こさないであろうという根拠のない自信で溢れている。そうだ僕は思考に縛られない。感覚感情、パトス、無意識から浮かび上がってきた感性というのは何よりも正しい、それは偏見によって惑わされる前の純粋無垢な心情であるのだから汚されていない。よって良き場所に自ずと導かれるのである。それはさまざまな場所から学んだ僕だけが知っているこの世の真理なのだと思っている。他の人にはなるべく知らせないようにしたいと思っているところの世界の真実。場合によっては間違いを犯すことがあるのではないかという不気味な感覚に支配されることもないではない。しかしそれは長い目で見れば必ず良き導きへと変化することに気づくはずだろう。良き導きというのは語弊があるかもしれない、正しい導きというのかな。

手紙を認めることにする。口下手ですこぶるシャイな自分はその場の勢いで流れに身を任せて話すことが難しい。流れに身を任せようとすると決まって向かい側の岸辺に辿り着いてしまうから、無理矢理にでも川の流れを押し切って前に進もうと意志を強く持ち続けなければならない。それは自分にとって容易なことではないから、手紙を認める。文字にしてしまえばもうそれは決まった既成事実と課す。そうでもしなければいつまで経っても自分の身を固めることができずに川の流れに押し込まれてしまう。それが僕の心の弱さは意志の弱さを体現しているというものだが、いつまで経っても頭の中で押し問答をしているわけにはいかないから今日こそは既成事実を拵にかからないといけない。事実を作って終えばよろしい。決めて終えば良い。手紙を書き終わった後でも心の中は揺れ動くに決まっているが、事実を作って終えばいい。グレーのものを黒にして終えばいい。