こんばんは。久しぶりに書いてみよう。
今まで自分が歩んできた道が結局のところ同じところに戻っていく堂々巡りの道だったというのはどうもやりきれない気持ちでもあるし、もはや笑えてくる。でも自分でその道を選んで戻ってきた気もするし、ここに何かが落ちているような気もしないでもないし、そういって底を見ながら歩いていたらさらに下降に沈んでいってしまいそうな気がする。どんどん落ちていくし、沈んでいくね、でも不思議なことにシューゲイズは最近好まないんだ。なんか最近は普通の曲ばっか聴いてる、難しい曲は疲れちゃうから。シューゲイズを聴かないのは疲れちゃうというよりかは感性が今の自分と合わないからだと思うけど。
今考えていることは、仕事のこと、というか自分の人生のこと。正社員を辞めてフリーランスになっているということ。それはつまり4年くらい前の自分に戻っているということだし、僕が僕であるということの意味が不明確になっているということ。
まぁとにかくね、ほんとに色んな意欲が湧かないね。みんなはどうやってそんなまともに生きてきているんだろう、と本当に思うよね。何もかも、あれもこれもそれもどれもわれもかれも何もかも、やる気が起きない。ほんとに起こそうとしても全く起きない。たまに思い出したかのように起動するけど、数日したらいつも通り充電切れを起こして生きる気力がなくなる。
それもまた人生だよ、って誰かが言ってくれた気がするけどもうそんな歳でもないんだよなぁ。30歳はもっと大人だと思ってたよ。でも久しぶりに鏡で自分を見ると思ったより歳を取っていて笑える。この前美容院に行ったらし小一時間白髪を抜かれてなんだか情けない気持ちになったよ。今年で30ならこんなもんですよ、ってクッキングパパみたいな店員に言われた。もしかしたらクッキングパパよりも年上なのかもしれないと思った。
丸3年くらい正社員として働いて、得たことも学んだこともそれなりにあったと思う。社会人として、民間企業に勤める人間として、お金を稼いだり、上の人の従って動いたり、理不尽な命令や納得のいかないことも多くあったと思う。一方で自分なりのやりがいや、お金とは関係なく人の役に立てる喜びも感じていたし、それはそれで楽しかった。今も仕事で活躍できることは楽しいよね。でもなんだろうな、ずっと気力を保つことができないね、僕には。ふっと心が解けてしまうのだよね。気持ちが追いついてこないや。それは何か精神的な疾患なのか、僕自身の定めのような何かなのか、はたまた社会的病理なのか。僕はそれについて考えてみて、割と納得させてみることもできる。日本全体・世界全体が無気力の病理に包まれているから、僕が僕になれないんだってね。昔のようなイケイケどんどんな日本であれば、そんなことはなかったって、つまりYouTubeを見れば自由闊達で意欲満点な学生運動をしていた70年代をみることができる。その時代と比べて自分たちはどんなに過酷かってね。
ああもういいや。僕はそんなことが言いたいんじゃない。最近思うのはね、自分はもうそれほど若くないということ。分かりきった事を当たり前のようにいうけど、自分は今年でもう30で人生の半分くらいを過ごしたんじゃないかなって。中学生や高校生の時に感じていたような、燃えるような女性への感情がなくなってきた気がする。この子のためなら自分は死んでも構わない、というようなね、極端にいえばだけど。それは僕自身が歳をとったという事なのか、精神が病んでいるのか、僕自身の運命的なものなのか、はたまた社会的な病理なのかはわからないけど、とにかく僕は自分の誠心誠意、全力を込めて何かに打ち込むことができなくなった。打ち込みたいという気持ちはあるし、そこに何か扉を開く鍵があるような気がするし、僕は僕になりたいと強く望んでいるのは本当だ。にも関わらず、そうならないのはもう病気なんだろう、勝手に何か病名をつけたらいいと思うよ、無気力症候群とかね。
そんなこんなでしばらく付き合ってた彼女と別れたのは自然な成り行きだったように思う。僕が僕自身でないのにどうして他の人を愛することができるだろう。とても申し訳ない事をしたと思う。相手の貴重な時間を無駄にしてしまったんじゃないかと思う。僕がいなければ、もっとナイスガイな男性と楽しい日々を過ごせていたんじゃないかな、ほんとに。ほんとに申し訳ないし、これを読んでいない事を祈る。もちろん読んでいないと思う。読んでたらごめん、僕は僕になれなかったんだ、君は悪くないというはもうよくわからないから忘れてくれ。
社会的な病理について考えると安心する。それは僕自身の精神疾患のようなものを押し付けることができるから。そして空想的な空理空論を考えることは楽しいことでもある。あることないこと、ないことないこと、僕は自由に空想を巡らすことができるから、そこになんの責任もないじゃないか、素晴らしい世界だね。あるものはあるし、ないものはないよ。誰かが言ったんだ。あるものはあるし、ないものはない。その通りだ。一番好きなことがの一つだ。あるものはある、ないものはない。そこにどういう意味があるのか、ないのか。あるものはある、ないものはない。
何度も言うけど、僕はそういう事を言いたいわけじゃない。自分の言いたいことの100分の1も伝えられてない。自分の生きている意味の1000分の1も感じられていない気がする。それは誰のせいだろう。僕のせいだろう、そうだろう。そうだばかやろう。そういえば、去年見た北野武の映画は良かった。「首」だったと思う、爽快だった、ここ数年で一番良かった。戦国時代はああだったのかなぁと空想を巡らすと、今の世の中が相対化されて、僕自身の精神的病理が社会的病理として捉えることができるようになったよ、とても良かった。スカッとジャパンだね。ああいう作品をもっと世に出すべきだよ、くだらないバラエティーなんてやってる場合じゃないさ、そう松本人志もね。
久しぶりにブログを開いてコメントが20件のスパムしか来てなくてまぁ世界は変わっていないと思った。誰かが僕に注目してもいいんじゃないかと思ったけど、世界は何も変わってなかった。4年経って僕は変わってないけど、世界も変わってなかった。まぁそれでいいんじゃないかな。
もう特に書くこともないから書くのはやめるよ、次にここの来るのは5年後くらいだと思う。