30を迎えるこの日。10年前は何をやっていただろう、と考えてみる。10年前、20歳、大学一年生。浪人していたから大学に入ってすぐ成人した。年齢確認に怯えることはあまりなかったのを思い出す。浪人して良かったと思える数少ないエピソード。
とにかく友達が欲しかった。高校の頃は本当に友達がいなかったから、男友達でも良いから友達ができるように積極的に話しかけるよう努めた。4月にはサークルの新歓に10個ほど押しかけて、一番暗い雰囲気のサークルを選んだ。自分でも馴染めそうだと思ったから。サークルをTwitterで検索して、アップされている集合写真で最も髪色が落ち着いているサークル。これを言ったら先輩たちに怒られてしまうかもしれないけど、でもそういうサークルが合っている人もいるし、それはそれで僕にはかけがえのない居場所となったのはいうまでもない。2回目に参加した時、某H先輩が僕の名前を覚えてくれていて、下の名前で呼んでもらい、優しく誘導してもらえたことに、僕は感動した。僕の居場所がここにはあるんだ、僕はここにいていいんだ、と。それぐらいあの時の僕は、今もかもしれないけれど、卑屈で自己評価が低くて、内気な青年だった。当時の僕に今出会ったとしたら、僕はどう声をかけるだろう?THE 1975の曲を思い出す。
What would you say to your younger self?
若い頃の自分になんていうだろう?
Growing a beard’s quite and whiskey never starts to taste nice
ヒゲを伸ばすのは大変だし、ウィスキーはそんなに美味しくならないよ
THE 1975『Give Yourself A Try』より
GW前まではちゃんと学校に通っていて、5月半ばの頃にはもうあんまり行っていなかった気がする。月曜日にマクロ経済学入門があって、よく分からなかった挙句に中間テストがほとんどできなかったので単位を落とした。英語とドイツ語の授業には友達が少しだけいて珍しく授業に出ていた。彼らはそれなりに気前が良くて優秀で(といっても語学はそんなでもなかった)、ナイスガイな人たちだった。ほとんどの奴が、今頃楽しい結婚生活を営んでいるんだろうと思う。
英会話の授業で一緒になった人が、それはそれは、水もしたたる良い男(やけに古い表現だ)だった。彼は横浜のどこかの公立高校で(どこだったか忘れた)、地元が多少近いということで授業後によく話した。ダンス部で学生生活をインジョイしている風だった。実際にインジョイしていたと思う、彼女がいると言っていた、しかも高校の同級生で、クラスで一番可愛い子なんだろうというのは容易に想像できた。英会話では「趣味は何か」というありきたりな質問に「音楽を聴くこと」と答えていて、好きなアーティストは「YUKI」と言っていた。ありきたりな音楽で、ありきたりな回答だと思った。サークルでもありきたりな女とありきたりなあれこれをして、ありきたりな人生を歩んでいくんだろう、と僕は思っていた。多分予想は当たっていたと思う。彼は今頃、海外を飛び回る商社マン(勝者マン)とかになってるんじゃないかな。髪色は茶色で、パーマをかけていて、キャンパスですれ違ったら二度見にしてしまうくらい、おしゃれだった。僕もそうなりたいと思った。のちに僕は3年生の時に金髪にしてパーマをかけて、学生生活をインジョイしてる風となった。風は風であって、もちろん水はしたたっていなかった。汗をかきづらい体質だから。女優体質なんだと思う。
僕は彼らをみて、そんなありきたりなことはしたくないと思っていた。すでに浪人をして、2年生で学生生活を楽しんでいる人たちを横目に見ながら大学に入った僕は、彼らと同じことはしたくない、と思っていた。彼らと同じことをするというのは彼らと1年遅れて同じ道を歩むということであり、僕の僕たる所以が消失することでもあった。他の人と同じになる、ということを、僕は何よりも嫌った。
ことに恋愛において、その傾向が最も強くなる。サークルで出会った女と、特に相当な理由もなく、ありきたりな関係になることを、ひどく拒絶していた。恋愛には何か、高尚な理由があって、男女が付き合わなければならない何か明確な理由がそこにはあって然るべきだ、と思っていた。周りの人間は、特に理由もなく惹かれ合い、特に理由もなく別れていく。それを内心で最も強い言葉で非難していた(国際社会同様、最も強い言葉で非難するというのは名ばかりである)。僕はそういった愚かな関係性というものを拒絶して、他とは違う、自分だけの、特別な関係というものに、自分自身を見出したいと思った。性的な目的のみで男女が恋に落ちることというのは、僕の中では、僕自身のアイデンティティーを否定するものとして映る。それはありきたりな人間として、ありきたりな他の人間と同じになるということを示唆している。(一方で僕は本能的にその魅力に反応せざるを得ないものを持ち合わせており、毎日のように隠しきれぬものと対峙することになる、つまり、そういうことである)
僕は女性と関係を持つことに、明確な理由が、論理的な、高尚な理由が必要だと思っていた。そしてそれが自分を自分たらしめる、アイデンティティー、他の陳腐な人間と自分とを分ける、何か高尚な自分らしさ、だと考えていた。今もそう思っているのかもしれない。そしてそこには、拭いきえぬ矛盾が横たわっている。その矛盾を、僕は20代のうちに乗り越えられず終わってしまった、と思う。
さて、大学1年の時はサークルの生ぬるい甘美な世界に浸って、何もかもうまくいくだろうと思っていた。大学名そのものに何か自分らしさみたいなものを感じていて、生きていく意味が消失していっているとも知らずに、楽しんでいた。楽しんでいた、というのは語弊があって、僕が僕らしく生きていた時代は今も含めて一度もないと思っている。それは楽しんでいるように見えているだけで、僕は特に楽しくもなかったし、自分のやりたいことはできていなかった。自分の生きたいようには生きていなかった。そしてそれはその後も続くし今も続いている。(当時の人々には感謝しているしかけがえのない友人たちのことは好きだがそれとこれとは別問題となる)
サークルには僕が夢見ていた男女のカップルも存在していて(矛盾した性愛を嫌悪する気持ちもありながら、それに憧れているということ)、この世のすべてを体現するよな、甘美なセックスも(それは否応なしに僕を魅了し、そして今も魅了し続けている)、自分の手の届くところにあるように思われた。矛盾に満ちた関係を嫌悪するべきだとは思いつつも、同学年の女性たちは実に美しくも見えた。その一人の女性に僕は恋をして、いつ何時もその子のことを考えていた。甘酸っぱい恋心というものが僕にも芽生えていたのだ。付き合ってもいないのに付き合った後のことを考える。付き合ったらどこでどうやって何をするべきなのか。ホテルにはどうやって行けば良いかよく分からなかった。今もあんまり理解していないラブホテルの仕組みについてネットで検索して、コンドームの付け方をYouTubeで、いやYouTubeはまだなかったのかな、調べて、ありったけのアダルトビデオを閲覧して、準備万端だった。付き合ったその先には僕の想像を遥かに超えた甘美な世界があるんだと思った。付き合うことができれば、この世を超越した何かに触れることができると思った。そしてそんな状況を前にすると、高尚な理由なんてどうでも良かった。他と同じになるということへの嫌悪感は、甘美な世界への入り口では何も感じられなくなる。それだけの価値があると思ったし、どうなったって良いから甘美の世界に身を委ねたくなった。
しかし、僕はそんなにモテなかった。気前のいい先輩たちが何もかも掻っ攫っていく。それはいつの時代にも適応される普遍的な法則、万有引力みたいなものだった。僕は僕なりの失恋をしたし、それなりに苦しかった、と同時に僕はやはり僕自身のアイデンティティーを取り戻さないといけないと感じた。彼らのように直接的に性的な関係を求めることは、彼らと同じになること、僕が僕でなくなるということ、僕が他の人と同じにあるということ、僕の生きている意味が消失していくこと、を改めて浮き彫りにした。それから僕は、女性に性的な関係を求めるということを、性的な感情を抱いているにも関わらずその感情を、なるべく隠すようになった。いや、すべて隠すように努めた。
それはそれで一つの不器用でシャイな男性の生き方な気もするけれど、今30になって20代を概観するに、それがまさに僕にとっての”不幸の始まり”だったかのように思われるし、今でもその呪縛から解放されているとは思えない。僕は僕なりの解答を導き出し、その自分なりの解答によって、自分の首を絞め、そして今も首を絞め続けているというのは、、、とても愚かなことだと思う。
窓の外から雨音が聞こえる。僕の生まれた日は晴れていたらしい。暑くてたまらない、そんな日の昼間に僕は生まれた。「洸」という字は、水面に光が当たる美しい光景から、「樹」という字は、父親が自然を愛していたから。30年が過ぎて、夜が更けたこの安アパートの窓に、光は差し込まず、弱い雨音だけが響き渡る。そしてMacBookのキーボードを叩く無機質な音。IKEAで買った安い蛍光灯の灯り。散らかったプリントや教科書、飲みかけのレッドブルと食べかけのロールケーキ。そこに自然を愛する僕は見当たらない。
I talk to myself…
Oh, baby. No, maybe.
「愛」失くして「情」も無い?
嘆くようなフリ
残るのは後悔だけ!!Oh, baby. Smile baby.
その生命(いのち)は永遠(とわ)じゃない
誰もがひとりひとり胸の中で
そっと囁いているよ「明日(あした)晴れるかな…」
遥か空の下
桑田佳祐『明日晴れるかな』より