恐れに満ち溢れたこのペルソナ、仮面。
僕は僕のふりをする僕と、ささやかな協定を結ぶことで、相手に干渉し合うことをやめる。
争いのない世界。誰も僕を傷つけないし、僕も誰も傷つけない。ピース。
僕のふりをする僕は、時とともに本来の僕を忘れ、仮面が僕に入れ替わる。
ふと自分を思い出して本当の僕に話しかけてみるが、どの僕が本当の僕なのかよく分からなくなってくる。
仮面の僕が僕であって、僕が仮面の僕になる。
僕のふりをすることは、もはや僕自身でいることにあいなる。
僕は僕自身でいる事がこの上なく心地よく感じるし、誰にも邪魔されたくないと思う。
時折行き場を失ったコバエが僕に入り込んでくるにしても、専用の殺虫剤を撒いておしまい。
僕は僕自身になって、コバエ退治さえしていれば平穏に生きていける。
ふと(それは本当にふと訪れる)、自らを覆い尽くしていた仮面を剥ぎ取ってみる。
不快な臭い、腐った臭いが充満して、嗅いだことのない汚臭に吐き気を催しそうになる。
「違うの、あなたは、あなたはあなたじゃないの」
何かに導かれるように君のもとへ殺虫剤を取りに行く。なんで殺虫剤なんだ?
辻褄が合っていないような合っているような。
「僕の中に何かが入り込んでしまってるみたいだ。いつもの殺虫剤を撒いてほしい」
「あなた、そうじゃないの。殺虫剤なんていらないの。そもそも今コバエなんて飛んでないわ」
確かにそうだ。僕はふと仮面を剥ぎ取ってしまって、これまでに嗅いだことのない汚臭に晒されていたんだ。
どうして殺虫剤なんだろう。
「そうだ、ごめん。何か消臭剤かなんか、あるかな?それと水も欲しい。なんだか眩暈もしてきたよ」
「違うの。あなたは、あなたの中にすべて持ち合わせているのよ。消臭剤もお水も抗生物質も何もかも、すべてあなたの中に入ってるの」
話が噛み合わない。何を言ってるのかよく理解されない。殺虫剤なのか消臭剤なのか水なのか薬なのかなんなのか。多分夢を見てるだと思う。あまりにも辻褄が合っていなさすぎる。そうだ、そうに違いない。僕は薬なんて飲んでないし薬物中毒でもなんでもない。
「鼻呼吸ができない人はね、生きる喜びを感じ取れてないの」
まだ夢が続いているようだ。
「あなたは、猜疑心が強すぎてすべてを疑ってかかって、どんな時にも鼻持ちならないって不満を抱えてるの。そしてあなたは、あなたはもうその事に随分前から気付いてるし、気付ける人なの」
鼻と喉がつっかえて咽せてしまう。それと同時にまたも汚臭を吸い込んでしまう。
まずった。また吸ってしまった。これは毒だ。息を止めないといけない。手で顔を覆い隠す。でも苦しい。
「苦しいよ。苦しいよ、息ができないよ、ねぇ!息ができないんだ!ねぇ!」
「息を吸って。大きく息を吸い込んでみて。あなたは吸い込むことを知ってるはず。だってそれは生きるということそのものの喜びだもの」
促されるように、大きく空気を吸い込んでみる。心地よい爽やかな空気が鼻を通り抜け、肺に入り込んでくる。
「生命の息吹を感じ取って。そう、そうよ。あなたを包み込む自然を信頼して、あなたが立つこの大いなる大地を、この世のすべての生命の源を、胸の中にめいっぱい取り込むようにするの。自然は常にあなたの味方だから」
久しぶりに透き通った空気を吸い込んだ。自然の、大いなる大地の恵みを、存分に取り込んだ気がする。
これが、僕が嫌悪していた汚臭なのか?
そこには今まで感じることのなかった、生きる喜びや生命の息吹のようなものを感じる。
「もっと吸い込むの。もっともっと空気を吸い込んでみて。自然を、大地を、宇宙を信頼して。あなたの顔を覆い尽くす仮面をすべて剥ぎ取って。それらはすべてあなたの生きる喜びを感じ取れないようにしている。怖がることはないわ。だって私たち、私たちそのものが大地そのものだから。仮面の誘惑に負けないで。あなたは人を愛するために生まれてきたし、人から愛されるために生まれてきたの。もっと自分を愛して、そして人を愛しなさい。」