昨日実家に戻ってきて一泊した。朝早く起きて諸々の準備をして結婚式会場へ赴く。
会場は横浜にある崎陽軒の本店。結婚式といえば洋風のイメージだったが、兄貴の知人?に崎陽軒と縁がある人がいるらしく、そこでの結婚式となった。
親戚一同も集まって久方ぶりの歓談。僕は特に何も喋らなかった。聞かれたことに二言三言答えておいた。
僕を腫れ物扱いするように感じるのは僕の自己肯定感が低いからなのか知らないが、いつも親戚と会うときにはきまりが悪い気分がする。
まだバイトしてんのか、とおじさんに言われた。僕はそうだ、と答えた。正社員を辞めたらバイト、ということになるのか、と思った。客観的に見たらそうなるというのは分かるけど、なんだかそう言われて久しぶりに自分の身分がとても卑しいものなのだと改めて悟った。
せっかくの兄貴の晴れ舞台なのに、素直に喜んで、親族とのまともな歓談すらもできないということが、なんだかいたたまれない心地になった。話そうと思えば話せる、というか僕は相手の気持ちに寄り添うことは得意なので、ここで弟としてどのように振る舞うのが正解なのかをよく理解もしている。でも僕はその正解を選びたくない、捻くれた面倒くさいやつだと、僕も思う。でも僕自身に対して折り合いをつけられていないので、どうもしようもない。他の人から恐ろしく評価が下がっているのだろうというのが想像に難くない。youtubeだったら低評価をつけられているだろう。僕は僕のそんなところが、好きじゃない。僕は僕のやるべき正解が分かっておきながら、それを実行しないということ。心が捻じ曲がっているように感じる。でも式を欠席するほどの勇気はないし、悪態をつくほどの覚悟もない。ただ当たり障りのない歓談をあえて拒むということが僕の中での大きな一つの主張になる。愚かだな。
両家の親族が自己紹介と挨拶をして、僕は新郎の弟と紹介された。僕が新郎の弟なのか、と何だか不思議な音の響きに、改めて兄貴が結婚するんだと感じだ。新婦方の親戚が12、3人いて数がこちらより倍近くいて、何だか圧倒される気分だった。一人一人紹介されて簡単な挨拶が行われて、紹介されるごとに僕は軽く会釈した。こちらの親戚は僕と、母親、母親の弟(兄貴の叔父)、その妻、父親の弟(兄貴の叔父)、その妻とその次男(兄貴の従兄弟)の7人だった。親戚って主によく会うのはその7人だけど、それって多いのか少ないのか分からないな、新婦からの方と比べると少ないから、そういう意味では数少ない親戚というのは大事にしないといけない、と感じた。それでも僕は、その親戚に対して二言三言の返事程度にしか答えていない。思っていることとやっていることがあまりにも矛盾していると感じる。
晴れ舞台ということもあって母親が着物を着て珍しくおめかしをしていた。たぶん初めて見た。フォーマルな格好をする時はもちろんあるけど、それは最近でいえばほとんどが法事だったから、華やかな着物を着ている姿を僕はたぶん初めて見た。いくらか老けて見えて、ふと母親の年齢を頭に思い浮かべてみてから、また母親のことをぼんやり眺めてみると、それなりに納得した。僕ももう30だし十分歳を取った、母親の顔にいくつもの皺が増えているということをこんな晴れ舞台で改めて感じた。時代の流れをそんなところに感じる一方で、僕は時間の流れに追いついていないということをまたすぐさま思い遣ってしまう。時間は刻一刻と時を刻んでいるのに、僕だけはただ一人取り残されたように前に進んでいかない。僕だけの時計が止まっている、でも僕の顔はしばらく見ないうちにだいぶ老け込んでいるし、大学時代に比べて肌に艶がないのをどうしても認めないわけにはいかなかった。いつになったら僕はまともに時を刻むことができるのだろうか、と思った。
新婦新郎が親族の控室に入場した。兄貴は僕が今まで見てきた中でもっともフォーマルな姿で登場した。礼服用のジャケット、それは内閣総理大臣が天皇陛下から承認をもらうときに着るような、異様に着丈の長いいかにも格式ばったものだ。ネイビーのストライプ柄で素材がとびきり良く上質な光沢感が、素直に眩しく感じられた。髪型も僕は一度も見たことがない前髪をかきあげるようなセットで髪の毛の先からも緊張の色が伺えるような、これまた見たことのないような表情をしていた。兄貴は物怖じしない肝が座った性格をしているけど、今回ばかりは緊張しているようだった。奥さんは純白のウエディングドレス姿で太陽のように美しかった。以前見た時よりも数段輝いて見えた。それは女性としても人生に一度きりの晴れ舞台ということがそうさせているのだろうか。表情からは緊張よりも”幸せ”が滲み出ているようだった。僕の同い年で兄貴の3つ下の奥さん、ここでも僕はまた僕自身と彼女についての比較をすぐさま思い浮かべようとしたが、いい加減にしろ、ともう一人の僕が言った。
僕は母親から写真を撮るように言いつかったため、すぐさまスマホを片手に彼らの姿をカメラに収めた。それから親族を合わせた写真撮影が行われて、一同が彼らの周りを囲って専属のカメラマンがシャッターを押した。式場のスタッフが手際よく親族の配置を決めて楽しそうなポーズを取るように言った。「笑顔が足りないので、表情を柔らかく」というと緊張が解れたのか、大きな笑いが起こった、そしてシャッター音とフラッシュが後に続く。みんな笑顔なのだろう、と思った。僕はそれなりに頑張って笑って見せたが、後でその写真を見返してみると、全く笑っていなかった。自分の表情をコントロールするのは難しいと思った。
続いてチャペルに移動して婚約の誓いが執り行われた。僕は母親と最前列に座って新郎新婦の入場を待った。母親が異様に緊張している様子だった。兄貴が入場して、会場は拍手に包まれた。僕はカーペットを歩く兄貴を写真に収めた。ピアノの音に合わせてゆっくりゆっくり前へ進んでいく姿は、ロボットのようにガチガチに固まっているように見えた。そして新婦とその父親が入場して大歓声が起こった。何よりも美しく、女神が地上に降り立ったかのような瞬間だった。そしてその奥さんの姿を見て、母親が涙を流していた。母親が涙を流すところは、、、ほとんど初めてと言ってもいいくらい見たことがなかった。それぐらいに、嬉しく、結婚するんだという実感がこもってきたのだろう。ハンカチで涙を拭って鼻を啜っている音が聞こえて、僕もなんだか感慨深い気持ちになった。兄貴が結婚をするんだ、美しいお嫁さんと新しい道を歩んでいうんだ、新しい道へ進んでいく彼の姿が羨ましく思えた。二人が顔を合わせて見つめ合い、お馴染みの儀式が進んでいく。ドラマや映画で見るような光景が広がって、目の前で僕の親族がその主役になっているということそのものが、何か気恥ずかしい気分にさせてくる一方で、母親が隣でまだ鼻を啜って目を赤らめているのは、フィクションの世界では味わえない何かだった。外国人のいかにも牧師らしい牧師が、聖書を片手に、そして十字架のペンダントを片手に聖書のお決まりのフレーズを唱えた。「汝は新婦・〇〇を愛することを誓いますか」「誓います」「汝は新郎・〇〇を愛することを誓いますか」「誓います」美しい晴れ舞台だった。