2024/12/12 栄えて乱れて僕と紅葉

ゾロ目の日だとやる気が出るね。気分が良いじゃないか。12月12日。

ブログの閉鎖する事を検討したいと思う。意味のない文字の羅列に嫌気がさしてきた。後で読み返してみて恐ろしくつまらない。サイコパスみたいな性格をしている自分のことが受け入れられない。側から見て明らかに常軌を逸している。もしかしたら新しい彼女が出来るかもしれないから、そうなった時にこのブログを極力見せたくない。こんなものを見たら誰もが卒倒してしまうよ。僕だって嫌だもの。

要因を探ってみるに、ブログがただの不満の吐け口みたいになっているのが問題だと思う。もっとささやかな日常を軽妙な言葉とともにハーモニーを響かせれば良いのに、角張った岩石みたいな文章しか書けない。もう潮時だと思う。見てくれていた人ありがとう。

もう今年も終わりだからひとつ今年の総括する記事でも書きたいな。面倒なことばかりだった。思い出したくないことが多かった、上手くいかないことが80%くらいだった。考えるのもめんどくさいからもうやめる。でも多少なりともその清算をしないといけないような気がする。

自分って無責任な人間だなぁってお思う。すべてを人のせいにする、そっちの方が楽だから。責任をなるべく負いたくない。しょーもない日本人体質だなぁって思う。日本人の性質を批判しておきながら、その実自分自身が日本人の負の側面を体現しているようで、自分の存在が憎たらしい。

なんだかね、僕自身の存在理由を全く自分らしくない部分で補おうとしている気がするんだよ。僕は元々コミュニケーション能力があるわけじゃないけど、それぐらいしか取り柄がないから、無理矢理会話をすることで自分の存在理由を取り繕うとしている。でも無駄なことだというのはわかってる。無駄な取り繕いでしか生きていくことができない哀れな人間だ。君らには分からないし僕にも分からない。後世の人間がこれを読んでいたとして、もちろんお前らにも分からない。だって僕にも分からないんだから。意味が分からない事を言葉にして、それはただの不満の吐け口で八つ当たりみたいなものだから。

それはそうと僕は好きな人がいる。上手くいくかどうか知らない。上手くいったら褒めて欲しい、でも上手くいったとして、また同じようなつまらない結末が待っているんじゃないのかと思ってしまう。反出生主義って知ってるか?生まれた子供が苦しい思いをするくらいなら産まないほうがマシだ、というこの世の終わりみたいな思想。傷つくくらいなら傷つけない方がいいっていうのは、実質的には反出生主義を肯定している。僕は反出生主義があまりにも常軌を逸した世界観だと感じながらも、事実上それを肯定している。行動の上ではそれらをまさに体現しているような生き方をしている。思想と行動が一致しないというのは、僕のかねてからの悩みだね。一貫性が無いんだ。そういう男って嫌だよね、僕はすごく嫌いだ。女々しい男が嫌いでバックナンバーの音楽を心底敵対ししている。あぁ僕はね、あんなよく分からない人間と一緒くたにされたくないし、同じ事をしたくないし、同列に、同等の人間に、下位の人間になりたくない。でも僕に優れたところが見当たらないから、なけなしのコミュニケーションで取り繕ってバカを見るんだ。

そんな事どうだって良い。恋の行方を君らが眺めることができるのは知らない。僕は自分の心に素直にいたいと思ってるけど、もう僕の心もたかが知れてるからね、その感性が正しいという確証がないし、間違った欲望に囚われているのかもしれない。君らは楽でいいよね、僕はもう崖っぷちも崖っぷちなんじゃないかな、こういうのってワクワクするものなのかなって映画やドラマで見る分にはスリル満点だろうけどさ、たまったもんじゃないさそりゃ、いつまで崖っぷちのヒーローを演じるつもりだろう、早く海に沈んでしまった方が良いのでは・・・?スローダイブの曲が頭に浮かんでくるね、どんどん沈んでいくよ。

しかし久しぶりに聴いたらこのアルバム、人が死んだ後の葬式みたいな曲ばっかりだな。人気がないのはよく分かる、死に行く人のための曲だよ。彼らはこのアルバムを出した後、死んだように20年くらいアルバムを出さなかった。でもその後不死鳥のように復活して名盤を残した。僕も20年くらい沈んでのちに不死鳥として復活するんじゃないかな。

20年後の代表曲がこちら。シューゲイザーの次の領域というのかな、僕には語彙力が足りないけど、明るいハーモニーが追加されてる。何があったんだろうねほんとに人生ってよく分からない。僕にも明るいささやかなハーモニーを付け加えてほしい。本当に書く文章書く文章すべて無機質で角張った岩石みたいなんだ。なんだこれ。僕はそんなつもりないし、頭の中は柔らかなハーモニーなのに、言葉にすると全部ゴツゴツして肌触りが悪くって不快感しかない。

僕にとって何が一番屈辱かっていうとね、他の人と同じだねと言われること。そしてそれは本質的な思想や考え方に関して問われている時のみ問題となる。つまりみんなと同じ仕事してるね〜とか上司に言われた仕事そのままやってるね〜とかいう批判はどうでも良い、まぁそうだね、お金稼ぐためだからねっていうこと。しかしあなたの本質的な思想ってありきたりな思想だよねと言われるとそれは訳が違う。僕の存在価値がないと言っているということと同義だ。それは他には元彼と同じことをしてしまうとか、元彼と同じプレゼントをするとか、元彼と本質的に同じ生き方をしているとか、そう言った類のことを僕は最も避けなければならない。意味がわからないが、僕はそれによって僕の本質的な人格や生きる意味が否定されているように感じる。僕の生きる意義と言ったものが、他の人とは違った思想や感性にあるとしているのは・・・なぜだかわからないが、でも他の社会的地位や名誉、経済的ゆとりや諸々の物質的価値のあるものに全く恵まれていない自分にとって、僕の僕たる所以となっているのがまさに他の人とは違った考え方であり思想であり感性である。それを何か物事に昇華できていなかったとしても、他のものと全く違う視点で違う発想で考えられていればそれで満足する。実現可能性や証明可能性なんていうのはどうでも良い。全く違って視点をもっていること自体に価値があって、僕が周りのものより優位に立つことができ、僕が僕であることを保つことができる。君らに理解してもらえないということそのものが僕の生きる意味を担保するんだ。僕のことを理解してくれなくて、いつもありがとう、君らに感謝しないといけないね。だからこそ実験的な音楽も価値を持つんだ。僕が実験的なアバンギャルドな音に惹かれるというのはそういった背景があってのことだ。

Sophieはいつぞやに死んだけど、僕には彼の(彼女の)良さが理解できる。他人には理解できない。そうやって自分を保つ。