感傷的に思い出に浸るような人間にはなりたくないけれど、過去を顧みない人間にもなりたくない。
頭を切り替えるのは大事だけど、過去を切り捨てるような人間は間違ってる。
僕は記憶の一つとして、君のことを覚えておきたいと思う。
今年を振り返って写真を見返していくと、やっぱり辛い思い出が蘇ってきます。良い思い出とともに、悔しい思い出もまた沢山あります。僕はある企業の採用試験に落ちて、涙を飲みました。体調を崩して思うようにいかない時期もありました。コロナでしばらく祖父母や親戚とも会えてません。祖父母はこのところさらに体調が悪化しているとのことです。誰にも会えないということが、若者以外の心にも大きくのしかかっているんだろうということを思います。母親は、僕のそばにいます。でも僕は、幾つかのことから逃げています。何が正しいのか、分かりません。いや、分かっているのにしていないのだと思います。いつまで逃げることができるのだろう。
もどかしいことが多くありました。でも嬉しいこともありました。就職が決まりました。何人かの人が僕のことを認めてくれました。今まで自分は誰からも理解されない人としてひっそりとそこにあるだけだったのですが、今年は幾人かの人に、認めてもらうことができました。ある、ということがより人々との関係性の中に浮かび上がるようになりました。それはとても良いことです。あるべきある、に近づいているようです。
でも失ってしまったものもあります。自分の意思で決めたことやルーティンやルール?のようなものを重要視するあまり、幾つかのことを失いました。僕には譲れないことがあったので、自分の主張を曲げることはできませんでした。そうしたことが自分にとって良かったのか、悪かったのか、今の段階では判断がつきませんが、いくつかのかけがえのないものを失い、あるいは失いつつあるようになりました。あるいはこうです、すごく悪いものを引き寄せるようにもなりました。
今はそれがとても辛いように感じます、。それに対して真正面から向き合えていない気もします。辛いことをありのままに受け止めれていないようです。でもいつかこれを全身一杯に受け止めないといけない時期が来るようだということもわかってます。
さて、彼女と別れたことが僕にとってどれだけ辛かったか、と思います。でもそれは多分、避けられなかったことです。多くの部分で矛盾を孕んでいました。遠くないうちにその矛盾が露見するだろうことは目に見えていたはずです。それを取り繕って延命させたところで、傷口が広がるだけでした。だから悪くない選択をしたはずです。早いうちにその矛盾を解いたことは悪いことではなかったと思います。
僕は強く生きるということを決めました。弱い人間であるにも関わらず、強く生きようと心に決めました。だからこそ、辛いことが多々起こります。それに押し潰されそうになります。記憶が僕を支配しようとします。過去を顧みると、過去が自分を支配しようとします。昔の自分のようになりたいと言い出します。楽な生き方をしたいと言い出します。別れないようにすれば良かったと言い出します。
でもそうじゃない。そうじゃないはずです。僕はこの道を選びました。その先に何かがあるはずです。弱い心に支配されないように。
感傷的になりすぎずに過去を振り返ることは、とても難しいことです。じゃあもう過去を振り返らなければ良いという人もいるかもしれませんが、そうでもないんです。それもまた違います。僕は記憶を大切にしたいし記憶こそが僕を後押しするものでもあるはずです。でもそれに飲まれそうにもなる。よく分からなくなります。何もしたくないなぁと思います。そんな自分を、情けないとも思います。嫌だなぁ、自分。どうしてすぐこうなるんだろう。ふぅ。
風の音を聴きましょう。
音の旋律に身を任せてみましょう。
あるがままに。