眠い、早く眠ってしまいたい。すべてを無にする行為、睡眠。眠ることによって、何もかも忘れ去ることができるから。向き合わなきゃいけないこと、目を合わせないといけないこと、睡眠の中では意味をなさない。全ての問題が解決する。僕は眠る、宇宙の彼方にワープできる。空想的な世界の中で自由に歩き回る。幸せな世界。何も憂うことはない。心地良い。春の心地。誰からも干渉されない、甘美な世界。
僕はコーヒーを飲む。ここでは眠るわけにはいかない。カフェに押し寄せる人々。さっき入って良かった、今日はGWだから、どこに行っても混雑している。彼らは満足げに行列に並ぶ、ノイズキャンセリングを施したイヤホンのおかげで、雑多な音は聞こえない。ノイジーな景色だけが横たわる。僕は凛として時雨の音に耳を傾ける。それもまた、雑多な音かもしれない。
高校の時によく聴いた、時雨の音像。大学に入ってから聴かなくなった、僕の心に効かなくなったから。そこには何か、社会性のようなものが著しく欠如しているように感じる。ロックのロックたる所以、社会性、革命性、反体制的意思、権力への意志、ニーチェみたい。
高校の頃の僕は、社会への漠然とした怒り、いや、怒りじゃないかもしれない、社会への、自己自身への嫌悪か、社会嫌悪、自己嫌悪のようなものを強く感じていて、それを代弁してくれるような時雨の音像に魅了された。そこに明確な敵はいない。何か大きなものへの嫌悪、得体の知れない何かへの何か。何かへの何か、って何だよそれ。『感覚UFO』は、何に対してそんなに憤っているんだろう。歌詞は不明瞭で現実性に欠ける、かといって神秘性にも欠ける、崇高な哲学的テーマも皆無で、示唆的な比喩もそこには存在しない。ただただ、何かへの何かであって、強いエネルギーがこだまするのみ。
対象の欠如、不明瞭な音像、雑多な、ぼやけた音像、それが良い、と感じるのはまた、自分が雑多な人間で、対象を欠いた不明瞭な生き方だから。
『the flammable man』は、対象を感じさせる。そこには何か明確に憎悪するべき対象がある。より攻撃的で、鋭利な刃で突き刺しているように聞こえる。(時雨の歌詞にもよく同じような表現が出てくるけど、中身が全く異なる)。明確な敵に向けて、輪郭がクッキリした武器で、意図を持って、突き刺す。それは社会の中の誰かであり、政府の中の特定の誰かでもあり、決められた1人の人物を名指しする。そしてそこに主体性があらわれる。対象を明確にすることで主体もまた明らかになろう。全てが明瞭、明確、透き通るような攻撃性。透き通るような攻撃性、っていいね。
それは社会が明確で明瞭、透き通るような攻撃性を持ち合わせているから。それが羨ましい?
どうだろう、羨ましいなぁ。コロンビア大学で、大規模デモ、羨ましいなぁ、透き通るような攻撃性。イスラエルとイランのドンパチなんて僕らには何の関係もないように感じること、それは僕らの世界が不明瞭だから、僕らの生き方そのものが夢心地の世界だから、催眠状態にあるかの如き、夢うつつの世界だから、なのかなぁ。それが嫌かと言われれば嫌だけど、そう言われなければ特に嫌じゃないかな、夢心地のなかに沈み込めば全ては無に喫するから。そうじゃない、すべてを無にしたいんじゃない、すべてが、いや、すべてなんて高尚なものじゃない、あらゆる雑多なものが、夢心地のなかに澱んでいる、それが心地良いんだ、すべてを無にするなんて言葉は正しくない、そんなつもりはさらさらないから。あらゆるものが澱んでいた方が楽だから、そちらを選ぶ、いや選んでない、あらゆるものが澱んでいる方へ澱み沈んでいく、気付いたら澱み沈んでいく、そんな感じ。
ウンタカウンタカウンタカ、ウバウバ。