2024/5/24 夢よりもはかなき世の中を

夢というのは古来より、何か人が意識できていないものを神が知らせてくれるものであるという。毎日夢をみる人もいれば、全く見ない人もいるそうだが、夢を見るというのは、その内容に何がしかの意味があるということらしい。昨日はどんな夢だったろう。何かの締め切りに追われて、いや、誰かとの約束の時間に間に合わず、どうにかこうにか言い訳を考えているような夢だった気がする。いつもギリギリに物事を始めるのでその事が、無意識のうちにも僕を苦しめているということなんだろうと思う。そんなんわかってるよー、別にわざわざ知らせてこなくてもいいような、そんな内容だった。

月夜の誘惑

そういえばいつぞやに、突然知り合いのある女性と深い関係になるというミステリアスな夢を見たことがある(ちなみに夢精はしたことない)。その子とはしばらく会っていなかったけど、そんな夢を見てしまって、どうしてもその子のことが気になって連絡を取って、結局深い仲になった(なんかこれだけを読むとすごく気持ち悪い話の様に感じる)。夢がつげ知らせてくれることそのままに人生を送っていったらどうなるだろう、と官能小説の中に入り込むみたいに誘惑に飛び込んでいった。

彼女は僕よりも何倍も大人っぽく小慣れていて、男らしく見えた。僕が小さな子供みたいに感じられて、少し引け目を感じてしまうくらいだった。そんな自分の子供っぽさを僕は受け入れることもできず、上辺だけの薄っぺらい自分だけを演じていて、そんな表面的な付き合いに相手も嫌気が差してしまったのだろう、結局はどうにもこうにもならなくなって離れ離れになっていった。それはそれで良い経験になったし、夢を何かの啓示みたいなものとして受け取ってみるのも悪くないなと思ったのと同時に、それらは何か大きな代償をも付き纏う、と僕には感じられた。夢での出来事はどういう内容であれ、辻褄の合わない非合理的な話で、現実の規範に当てはめれば禁忌とされるようなことになるけれど、『夢のお告げ』という正当化によって禁忌を犯すわけだから、何かそれ相応の報いを受けることになるのだろう、と思う。

僕は「自業自得、因果応報」というのは、森羅万象、この世のすべての事象に適応される、普遍的な大法則だと思ってる。悪いことをしたら報いを受けるし、良いことをすれば施しが与えられる。形はそれぞれで時差もあることだけど、結局は巡り巡ってすべての報いを受けることになるし、施しが与えられることになる。それを信じて疑わないというか、本当にそういうものだよね?目の前に置いてあるリンゴと同じくらいに明白な事実だと思うんだけど、なんだか人に伝わらないし、こうやって文章にするとさらによく分からなくなる。抽象化っていうのは逆に失われるものが多くあるんだ。

「魔性の女A」

その子が『魔性の女』という感じだったかどうか、分からないけど、最近良いと思った曲。

魔性の女 フェイスラインがマドンナ 上目遣いがたまんないや 君の虜 愛してる

魔性の女 色気フェイスラインが 世界中釘付けよ 君は”魔性の女A”

(中略)

悪い女?それすら褒め言葉 あの娘に惚れた人 最初は皆そう言うのです

(中略)

どうぞご勝手に 偶像?愛憎? お好きなように崇拝しな 

なあ ゴシップショーに商品消費 お買い上げどうも 

すぐ飽きてまた戻る 逃れられない美の魔力

(中略)

魔性の女 ときに天真爛漫 あどけなくって 儚くって 君は”魔性の女A”

人々の欲望の中で 何度でも生き返る 姿変えて 「お望みの美しさあげるわ」 夢か現か それが”魔性の女A”

紫 今「魔性の女A」

サビの歌詞がスッと入ってきて声も麗しく何故か聞き入ってしまう。曲が良いとかリズムが良いとか詞が良いとか諸々あると思うけど、声そのものに惹かれるっていう感覚だなぁ。そういうのはJPOPだとあんまりないけど、洋楽だとそれが多い。一音一音に想いが込められてるからなのかなぁ。なんか魅惑的なんだよね。それはセクシーというかエロいといったら変かもしれないけど、気付いたら心がグッと持っていかれそうになる。そういう魅力を楽曲やアーティストに感じる時があり、はたまた恋愛で感じる時もあるし、その子にも感じていたかもしれない。別に上目遣いとか魅惑的なフェイスラインがあったわけじゃないけどね。

歌詞は、ありふれた魔性の女を描写しているだけかと思ったけど、よく読むと、美の魔力に取り憑かれる女性たち(化粧品などを消費しつづける哀れな女性たち?)、あるいは魔性の女性アイドルに振り回される男性たち(?)など現代を揶揄しているようにも聞こえるのでポイントが高い。ただ他の曲をいくつか聴いたけどピンとくるものがなく、これからに期待だが、こういう新進気鋭のアーティストがアニメの主題歌とかやってるのが本当に残念というかよく分からない。音楽は自己表現の場所であってお金儲けの道具ではない。知名度を上げようと思っているのかもしれないけど、良い曲を作ればちゃんと聴いてる人にはちゃんと伝わるし時間はかかっても人気は出ると思うんだよなぁ。世間に媚を売る必要は全くない。

あと夢繋がりで(全然関係ないけど)、『和泉式部日記』の一節。(本当はこちらをメインに書こうと思っていた)

【原文】

夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下くらがりもてゆく。築土の上の草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、たれならむと思ふほどに、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。

【現代語訳】

夢よりもはかない世の中を、亡き宮様との楽しかった日々を思い嘆きながら式部は毎日を過ごしていた。そのうちに四月十日すぎになったので、木の下の緑もだんだん濃くなってきた。塀の上の草も青々としてきた。人は特に目にも留めないが、式部の目には宮様とすごした夏の季節がしみじみと思い出され感慨深いことなのだ。そんな時、すぐそばの生垣のところに人の気配がしたので、誰かしらと思ってみてみると、亡くなった宮さまにお仕えしていた小舎人童だった。

『和泉式部日記』冒頭より

和泉式部は平安中期に活躍した女性で、紫式部や清少納言と同時代、藤原氏の最盛期に宮中に出仕した女房。「恋多き女性」として宮中でも噂されており、あの藤原道長にも揶揄われていたほど。10歳ほど年下の夫がいたにも関わらず、当時の皇族である為尊親王と恋に落ちて宮中では大騒ぎ。それほど身分の高くない和泉式部、もちろん夫がいるにも関わらず、天皇の息子という破格の身分に手を出すということで大変な非難を受けたそう。父親からは「ただの浮気ではなく、皇族との不倫。もちろんあんな真面目な夫がいるのに」と勘当され、さらに夫も噂を聞きつけて離婚を余儀なくされる。それでも愛した為尊親王に一直線、とはならず、為尊親王は26歳という若さで他界。当時は疫病が流行っていたとか。

すべてを失った和泉式部は嘆き苦しみ、抜け殻の様な時を過ごす。そんな状況の中、『和泉式部日記』は始まっていく。その冒頭の一節が上記の内容となる。「夢よりはかなき世の中を・・・」というフレーズや語感、リズムがなんとなく琴線に触れるというか、味わい深い表現だなぁと思う。目が覚めたら消えてしまうような夢。はかないもの、頼りないものの喩えとしてよく用いられる夢、その夢よりもさらにはかないこの世の中。いかに愛していようと、それがどんなに高貴な人であろうとなかろうと、はかない夢のように、いや夢よりもはかなく消えてなくなってしまうこの世のおぼつかなさ。当時の彼女の状況を考えると情景が浮かんでくる気がする。

入試問題ではこの「世の中」に傍線を引っ張って、その解釈として最も適切なものを選べという内容。①男女の中 ②世間一般 ③政務一般 ④時代 

答えは①の男女の中。「世」は多義語で選択肢は全部辞書に載っている単語だが、入試で主に問われるのは男女関係のこと。ことに『和泉式部日記』という出典を考えれば何を嘆いているのかは容易。なんだか単調な知識を問うだけの問題になってしまうのってそれは入試問題の特性上、仕方がないけど、もう少し捻っていきたいよねぇ。

Thom York「Lsat I Heard」

さらにこちらも夢繋がり。僕の最も敬愛するアーティスト「Thom York(トム・ヨーク)」。彼のこの曲も自身の夢からインスパイアを受けて作られたということらしい。彼は、東京滞在中に時差ボケに苦しんで、2時間だけ眠ることができたときの強烈なイメージを具現化したとか。「Last I Heard」 は人間とネズミの立場が入れ替わって、ネズミたちが街を闊歩する傍ら人間たちは排水溝でもがいている、という恐ろしいイメージが視覚化され、MVも曲の雰囲気もすべてが異様で尚且つどこか魅了される何かを感じさせる。アルバムタイトルの『ANIMA』は夢分析の第一人者ユングの言葉から取ったそう。