2024/6/16 逆さままっさかさま

うちの塾では6/23〆切で志望校調査がされている。

大学選びの一つとして「早慶・MARCH・日東駒専」など大学のブランドで選ぶというのがまぁ一般的だけど、学びたい学問・学部があるかで考えるのも重要だよね。結局のところ、大学は「学問を専門的に研究しに行く場所」だし、遊びに行くわけじゃないからね、何を学びに行くか考えることも重要だと思う。

生徒と話していて最近人気があるなぁと思う学部は、「国際系」「看護系」かなぁ。昔から人気あったのか分からないけど、基本的な「文学部」「経済学部」「商学部」「教育学部」が多いのは当然として、それ以外だとここら辺がよく聞く。「看護」なんて大変なことは分かっていると思うけど、それでも高齢者が増えてきてコロナもあって、人の役に立てるという意味では大きな魅力なんだろうな。大学の傾向を研究してる河合塾の資料で、看護系の学部だけは需要に供給が追いついてなくて(つまり看護師が少ないということ)、これからも新学部の創設が続きそうなのは「看護系」だけだといっていた。大学自体が減少気味の中では大きなことだと思う。「国際系」はまぁコロナもあったけど、やっと落ち着いてきて留学に行けるようになってきたし、なんだかんだグローバル化の時代だし、円安だし、インバウンド増えてるし、一気に持ち直してきた感じ。それでもただ「K POP」が好きで「国際系」とか言っている生徒がいるのにはちょっと辟易するけど、海外志向なのは良いことだと思う。そしてそういう子に限って古文ができない。

それとあと近年人気が上昇している感じがするのが「心理学部」。でも「心理学部」単体だとそもそもの数が少なくて、立教の現代心理とか横浜だと明治学院の心理とか、偏差値も結構高いから薦めづらいのはある。ただ「心理」といっても「心理学部」でしか学べないわけではなく「文学部」でも「心理学科」を専攻することができるから、そういう話はするんだけど、なぜだか「心理学部」にこだわる人が多い。結局自分も「社会科学部」だったけど、歴史も法学も経済も哲学も心理も色々学んでて幅が広がったと思うから、というかこんな話しておいてあんまり大学行ってなかったから人のこと言えないんだけど。

それでとにかく、感性の鋭い若い世代に「心理を学びたい」と言っている人が多いのは見過ごせないことだと思う。僕は思うんだけどね、歳取ってくると色んな感性が鈍ってくるんだよ。つまり、本当は「生きづらい社会」なのにここ数十年間それが「当たり前」すぎて感覚が麻痺してきて、別に普通に生きていけてるから実は「生きやすい社会」なんじゃないかとか考えるようになってしまう。とんでもない!と僕は思う。

10年ぐらい前、大学の時にこの古市氏の著書を読んだ。要約すると「日本の若者は昔より貧しくなって絶望しているように見えるけど、実はささやかな幸せを享受して生きている!」みたいな軽薄な日本人の幸福論。「とんでもないやつだ!」と思った。すぐにブックオフで売り払ってやった。それぐらいしょうもない本だった。顔を見るだけで腹立ってくる。「日本の若者の現状を何も知らない!そもそもKOのSFC出てるから他の人と感性がズレている!それにKOなんてのは古文を学んでない時点で人間性を疑うし、日本の歴史を知らずして、日本の文化・文学を知らずして、日本を語ろうなんて100年早いわ!」と思った。

それでね、とにかく僕が個人的に、現代の日本社会での最も大きな問題点はこの「生きづらい社会」だと思っている。この問題を解決しない限り僕らの社会に未来はない。それは僕が大学の頃から持ってる問題意識だし、多分これからもずっとそれについて考えを巡らしていくんだと思う。大学でゼミの年老いた教授が言ってたことで一番覚えていること(他のことはほとんど何も覚えていない)なんだけど、「わしの問題意識は学生の頃に感じていた問題意識そのままで、それがずっと今でも頭の中を巡っている」ってね。どんな内容だか忘れたけど、それだけが僕の中でずっと引っかかってたけど、確かに今僕が考えていることは、学生の時に感じた問題意識をそのまま受け継いでいると思った。

それで「心理学」に関連した「自殺」に関する資料だけど、「心の問題・生きづらさの問題」は僕が勝手に感じているだけで、一般庶民については当てはまらないという批判がある。「君がたまたま(それは必然的なものだ)就職がうまくいかなくって社会に不満を持っているだけで、一般大衆は「生きづらさ」なんて感じていないんじゃないか!」と。さぁどうだろう。近年の日本は本当に生きづらいのかどうなのか!

賛否あるかと思うけど、「自殺」というテーマから考えると、諸外国に比べて高い数値なのが分かる。ちなみに自殺数というより自殺率を見た方がいい。人口が多い時代は単純にそれだけで自殺も多くなるはずだから。でも2000年代初頭が異様に自殺数が多くてびっくりするんだけど、これはなんでなんだろう。完全失業率との相関のデータもあって(ここでは載せていない)、それと比べると結構合致しているから、経済的な要因も大きなものだと思う。バブルが弾けて一気に就職氷河期なりがやってきたころがやっぱり経済的に困窮してそうなったのかな。10年代以降数字が持ち直しているのは、単純に「生産年齢人口が減ったから」なのか、「安倍政権になって景気が安定して完全失業率も改善して、経済が持ち直したから」なのか、よく分からない。ちなみにそれに相関してなのか、2000年代初頭の日本の音楽はドチャクソ尖っていて面白いアーティストが本当に多い。僕が大好きな凛として時雨もこの時期に結成で、初期のクレイジーさはそんな社会的雰囲気を体現しているかのよう。

それであれだね、G7の中で比べると日本は言うまでもなくトップの自殺率で、他にも幸福度ランキングなんてのもあってそれもさほど上位じゃなかった気がするけど、正直幸福度ってどうやって測ってるの?って感じなので、自殺率の方が適切な指標だと思う。

自殺を考えるということは、理由はどうあれその人生に不満を持っているということだし、「生きやすい」社会とは言えない。それにこれはとても心苦しい話だけど、自殺をした人の平均自殺未遂数は「約15回」と聞いたことがある。つまり自殺するというのは、苦しんで苦しんで色んな選択肢に頭を巡らして、やっとその選択をするにも関わらず、往々にして失敗するらしい。頭は死にたいと思っても、体は生きたいと思うわけだから、どうやっても拒絶反応かなんかで、薬なりなんなりを吐き出してしまったり、首を吊っても無意識のうちに取り外したりとか。それでも苦しみ悶えて苦しみ抜いて、10数回の未遂を繰り返して、やっと死ぬということになる。そんな苦しみの連鎖がこの日本の中で年間に2万人もの人を襲っていると考えると、想像しただけでゾッとしてくるし、僕はそんな社会が「幸せで幸福な社会」だとは全く思わない。狂ってるよ。倒錯した社会だとみんな倒錯しているから、倒錯ていることに誰も気づかないってね。

政治学者の丸山眞男は、チャップリンの映画から、次のような意味を引き出している。

チャップリンは、現代とはいかなる時代かを執拗に問いながら、くりかえし同じ規定を以て答えているように見える。それは「逆さの時代」だということである。何をもって「逆さの時代」というか。それは常態と顛倒した出来事があちこちに見られるとか、人々の認識や評価が時折狂いだすとかいうような個別的な事象をこえて、人間と社会の関係そのものが根本的に倒錯している時代、その意味で倒錯が社会関係のなかにいわば構造化されているような時代ということである。

丸山眞男『現代政治の思想と行動』

というわけで何が言いたいかっていうとね、ここ数年「10代の自殺率」が徐々に上がっていることが僕らの社会の混迷を表している、ということ。若い世代は、その時代を移す鏡だよ。僕らはもうその時代を移す鏡なんかじゃない。ほとんどの人間が逆さまに倒錯して何も感じなくなってしまっているから。そういう未来ある、これから日本を担う、この時代を移す鏡たる、10代の若者が、悲しくもそういった選択を選んでしまっているという事実を考えるに、僕はこの社会が「生きやすい社会」とは到底思えない。10代っていうのは我々よりもさらに感性が鋭くて敏感で、我々が目に見えないようなものが見えている、と思うんだ。そういった人たちが自死を選んでいるということは、彼らにはこの日本社会が倒錯して見えているということだと思う。逆さまの世界に生まれて、みんなが逆さまになっているから自分も逆さまになってはみたものの、やっぱりどうしても逆さまにはなりきれない、というのかな。僕もそんな気分だよ。