今週は授業がなかったので少しく休みを取ることができた。といって、何もしてはいない。
学生時代の日記を掘り起こしてみて、久しぶりに読み返してみたけど、今僕がやっていることと何ら変わらないことを日記に残していて面白かった。当時は10年後にこんな生活をしているなんて想像していたのかな。あるいはこれから10年後、僕がどんな生活をしているかって、今と大して変わらない生活をしていたとしたら呆れる。でも実際にそういうことが起こってる。僕は10年前と大して変わらないことをやっているんだ。それはつまり10年後もつまらないことをやっているという事の証明になるんじゃなかろうか。僕は絶望感に支配される。
以下は、2017/10/2の日記である。当時僕は大学4年生で、就活がうまく行かずに留年を決めて、あてもない流浪の民のような生活を続けていた頃だった。(入試問題のリード文みたいだ)
気付けば10月である。
いまだ5月、夏の気配が顔をのぞかせる雰囲気が続いている。まだ夏すら来ていない。しかし季節は秋である。金木犀の香りがしてしまう。
今日はとりあえず久しぶりの授業に出よう。やることをしようと家を出た。
涼しい。春とは違った涼しさだ。春よりも、透き通っている気がする。秋晴れは思ったよりもきれいに感じる。いや、今日は曇りだった。傘を持とうか迷ったのだった。しかし、外は明るい。まぶしい。怖い。
電車に乗ろう。やはり7時台は人が多い。と思っていたら電車が遅れているらしい。大船で停電とのことだ。
授業なので遅れてもよいし、特に何も。しかし満員電車はストレスの塊だ。あれはいけない。
人が多い。自分が眠っている間に、こんなにも多くの、こんなにも多くのドラマが広がっている。
誰も僕が眠っていることに気づかない。それもそのはずだ。こんなにも人であふれている。
スーツの人が多い。内定式があるからだ。ますます疎外感が支配する。
彼らは、我が物顔で、さっそうと歩く。道に迷っていても、迷っていない。品川駅がいかに複雑だろうと、迷っていない。
満員電車が煩わしすぎて、途中で降りて一服することにした。どうせ初回の授業は聞かなくてもいい。
それにしてもスマホの充電の減りが異常である。もう50%
何もしていないのに疲れ切っている。もうどうしようもない。買い換えないといけない。それは僕自身もそうかもしれない。
コーヒーはブラックでもいい。正直こだわりはない。しかしカプチーノをいつも頼んでしまう。なぜだろう。
本を読む。何かに夢中になると楽になる。何もしないとすぐにあの疎外感が。
あの偉大な、マルクスの書にも疎外感が出てくる。同じ思いだったのか?
いや、彼は天才だったし、貴族の妻がいたそうだ。それはそうだ。稀代の大経済学者。 (彼はもともと経済学者であり、社会主義者とはオマケみたいなものである)
疎外感。人間の本来的なあるべき姿、そこから逸脱してしまっているときに感じる。
本来的な労働、やりたいと思っている労働、温かい労働から切り離された抽象的な労働を、無味乾燥な労働を強いられる。
自分が自分ではないような、感覚。早慶戦のパレードの、やりたくもないパレードを大観衆とともに行進させられているところのあの。
そんな大層な、壮大なレトリックをこんなちっぽけなものに当てはめることが罪深い。
マルクスは資本論を書き上げるのに、20年間、大英博物館の図書館で、資本主義の怪物と格闘した。
しかしそうでもしないと、疎外感が、孤独感が、涙が。
山手線に乗ってくる外人。いったいどうして、日本語を学ばずに来れるほどの自信を持ってここにいれるのか。
どでかいキャリーケースに、夢を希望を載せて、新宿で降りた。どこへ行くのだろう。
10月、紅葉はまだである。しかし目が痛い。言わんとしていることはわかっている。わかっている。
今日は内定式。四年生。
明るい、まぶしい。光の無数の矢が、突き刺さる。痛い。
うどん屋に入る。安いは正義だ。かけ小は心をしずめる。新人の労働者がいる。湯霧の仕方を真似る。懐かしい。
僕は、いったい何だったのか。間違いだった。やはりおいしい、生きている。
モノは消費するためにある。それ自体が目的だ。食べることによっては何も生まれない。しかしそれが目的だ。
マルクスは、資本主義の特徴を、悪無限、際限なき利潤の追求にあると、言っていた気がする(嘘かも)
資本主義はそれ自体を、吸収できない。愚かな制度だ。それ自体としていきたい。自分自体として生きる。見当もつかない。
ラテンアメリカについて何も知らないのにこの授業を取ってしまった。よくあることであるが、本当に何もしらない。ラテン?アメリカ?中南米のことらしい。メキシコ、キューバ、ブラジル、アルゼンチン、チリ驚くほどに興味がない。反対側の世界だ。
しかし、この地域は意外と独立が速い。19世紀前半にまずその独立が増えていったらしい。日本よりも早い。独裁国家で、暴力的で、後進国。というわけではないようだ。こんなところにも世界は広がっていた。
いつも自分は置いてけぼり。悲しい。疎外感。ひどく、疎外感。自分ではない。
自分だった自分が、ささやく。あっちにいっていたら。ここにいる。あの世界、あどけない自分。あった自分。
ない。
悔しい、悲しい、掴みたい、取り戻したい、したい、たい、?
何が、どれだったか、だった。電車は揺れる。固い、冷たい、遮るものはない。
やめたい、消したい、去りたい。
??
去りたい?
胸に突き刺さる。去ったものが。
刺さる。
刺す。
?
2017/10/2 日記より
内定式の頃合いで、就職が決まっていない自分と、スーツ姿で颯爽とビジネス街を歩く若者の対比が耐えられなかったのだろう。4年でも単位が残っていたから授業に出ていたようだが、なぜだかラテンアメリカの歴史についての講義を聞いていたらしい。所々で当時ハマっていたマルクスの記述が顔を出していて面白い。マルクスは「人間疎外」ということを問題にした経済学者だ(社会主義者というよりも経済学者だ)。もともとはヘーゲルの言葉だったと思うけど、「自分が自分でない感覚」、「自分の存在がよそよそしく感じられる感覚」を「人間疎外」といった。そしてそれは他でもない、資本主義の倒錯した社会構造によってもたらされているとして、資本主義の限界・および社会主義の必然性について述べた。もちろん予言は外れた、でも「人間疎外」という問題意識は現代にも通用すると思うし、当時の僕の頭の中でも、いや今の僕の頭の中でも、共鳴している。それは資本主義経済が原因なのか日本社会が原因なのか、グローバル化なのか、インターネットなのかSNSなのかなんなのか、今のところ判然としないが、大きな問題意識としては一理ある、と今でも思ってる。7年経った今でもその考え方が変わっていないということに僕はなんだか一つの救いのようなものを感じたりする。変わらないということにも明るい側面はあるんだって。でもそれは僕が成長していない、ということをも示しているような気がしてならない。
エモーショナルな曲を聴きたくなった。
君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない 10年後の8月
また出会えるのを 信じて 君が最後まで
心から 「ありがとう」 叫んでいたこと 知っていたよ
涙をこらえて 笑顔でさようなら
せつないよね 最高の思い出を… 最高の思い出を…
ZONE / secret base 〜君がくれたもの〜
「君と夏の終わり・将来の夢・大きな希望・忘れない・10年後の8月」
象徴的なワードを散りばめているだけなのに、色々なことを想像させる詞だと思う。2001年に発表された曲ということだけど、僕はこの曲を父親が運転している車の中でよく聞いていた。そこには助手席に母親がいて、後部座席に僕と兄貴がいて、もっと言うと、じいちゃんばあちゃんもいたかもしれない。家族みんなで近くのファミレスに行って腹いっぱいご飯を頬張っていたこと、僕は食べるのが遅くていつも兄貴から馬鹿にされていたこと(今でも馬鹿にしてくる)、時にばあちゃんの昔話が延々と続いていたこと(うちの家系は武士の末裔だという説話集みたいな話)、僕の少年野球の試合を毎週楽しみにしてくれていたこと、でも僕はじいちゃんばあちゃんが試合を観に来ることに少しく恥ずかしさを感じていたこと(今思えば幸せなことだが、周りにそういう人がいなかったので大事にされてるお坊ちゃんみたいで嫌だった)、音楽ひとつで色んなことを思い出させてくれる。エモーショナルな曲だ。今ではそのうち3人がこの世からいなくなった。残されたのは僕と兄貴と母親。じいちゃんとばあちゃん、父親はもういない。不思議な気持ちだ。あの思い出の半分はもう消失してしまったんだ。消えてなくなったんだ。僕の記憶、兄貴、母親の記憶も消えてしまえばもうそこには何も存在しなかったのと同じなんだ。父親は2005年に亡くなったから、この曲は知っていたけれども、10年後の8月にはもちろん、生きていなかった。僕はその20年後にこの曲を聴いて、いくつかの父親との思い出に浸っている。不思議なものだ。道半ばで亡くなって父親のことを思うと、僕はいつも切ない気分になってしまう。子を残して親をも残してこの世を立つ気持ちというのはいかほどか、でも多分突然死だったから何も考えずに行ったんだと思う、取り残された僕ら、特に母親のことについては、なんとの言えない気持ちがする。20年後の今だって、そのまま生きていたらどんなに幸せだったんだろうって、でも多分それはそれで喧嘩が絶えなかったのかもしれない。僕は父親と喧嘩をすることになっていただろうか、そんな経験がないからとても羨ましいね。親子喧嘩というものをまともにできずに育った僕自身のことがとても、気の毒に思う。「君と夏の終わり・将来の夢・大きな希望・忘れない・・・」