2017/10/2 夏の終わり・将来の夢・大きな希望

もう一曲だけ、エモーショナルな曲。

だいたい夜はちょっと 感傷的になって金木犀の香りを辿る

何でもないふりしても 声が聞きたくなって

電話番号を思いだそうとしてみる

掛ける 掛けない 会いたい 会いたくない

いつの間にか随分遠くまできてしまったな

あの頃の ふたりは 時が経っても 消えやしないよね

いつか ほかの 誰かを 好きになったとしても 忘れないで

きのこ帝国 / 金木犀の夜

金木犀の香りを感じると、僕は母親のことを思う。10月に誕生日があるから。身近にいるけど、最も遠い存在のように感じる。今年の誕生日こそは何かしてあげようか、と手をこまねいている間に誕生日が終わって、すぐに10月が終わる。今年もそうだった。金木犀の香りと僕の弱々しさがリンクする。

「いつの間にか随分遠くまできてしまったな」が象徴的な意味合いに捉えられる気がして、気に入ってるのと同時に、やるせなさも感じる。でも久しぶりに聞くと、大して良い曲じゃないんじゃないかって気がしてくる。確か解散前のラストアルバムで、底知れぬ息苦しさが充満してるっていうのかな。前に進むことも後ろを振り返ることもできずに、八方塞がりでとりあえず今までのエモさを指でなぞってみましたよって感じで。あぁほんとになんかこう、色々思い出してきたけどさ、正直2010年代のアーティストには失望しかない。突き抜ける何かが明確に不足している、いや消失してると思う。残念だ。芸術は爆発だけど、全然爆発してないじゃないかって。見せかけの爆弾だよ、見る人が見ればすぐわかる、爆発しているように見せて実のところ安全に配慮された素材でしたって、この後スタッフが美味しくいただきましたってね、僕は騙されないぞ、あぁくだらない議論だな。手をこまねいたらお得意の抽象論でお茶を濁すしかない。選挙期間中の政治家と一緒だな(ほんとにそう思う)。あぁどうでもいい。とにかくきのこ帝国を含め、2010年代のアーティストには失望しかない。謝罪と賠償を要求したいレベルで。2020年代はどうだか知らないけど、10年代に学生時代を送ったものとして、僕自身の心もアートと共に昇華させることが叶わなかったものとして、残念というほかないのは、アーティストのせいというのもそうだけど、それはもっといえば時代のせいだとも思ってる。そうさ、時代のせいさ。僕らの時代は、悲しい時代さ。悲しい時代に生きる悲しい世代。そう、これを読んでる君も、そしてこれを書いてる僕自身もね。悲しい時代の悲しい世代に、乾杯。

最後に一つ、切ない曲で心を昇華しようするのは弱い人間のやることだと思ってる。精神的に向上心のないものはバカだ、エモーショナルな曲で心を昇華しようとするものもバカだ。分かるかい?