
『名探偵コナン』とかいう国民的アニメを見るたびに思っていること。それは蘭姉ちゃんのコナン君を呼ぶ声が母親の声に聞こえてしまって仕方がないということ。「コナン君どこいったの?また勝手にいなくなって〜」というありふれたセリフ一つ一つが僕の子供の頃を思い出すよすがとなる。アニメや映画でぼーっと見ているときに二人のやりとりが出てくると、僕はいつも誰かに見張られているような気すらするのだった、それは多分母親から見守られていながらそれに応えることができない負い目のようなものが暗い影を落としている、または僕自身の影として見張っているのだろうと思う。もちろん母親と蘭姉ちゃんは似て非なるもので、年齢や声や容姿容貌、そもそも二次元か三次元か、あぁ髪の跳ね上がり方なんて言うまでもないのだけれど、あっちこっち忙しく動き回る子供を心配して追いかける様が、息子の行く末がいつまでも心配な母親とどうしてもリンクしてくる。それに怒るんだけど別に怒ってるわけではなくって、ただその都度心配するだけで、門限を決めたりルールを決めたり(アニメでそれをやったらおしまいだ)、実際的な対策を講じることがないというのもまた、絶妙に重なって見える。その実コナン君は蘭姉ちゃんに対して、底知れぬ隠し事をしており、それを露わにしないことには物語の完結を見ないということ、そして僕自身も何かしらの隠し事、それはどのような形をとっているのかはアニメほど判然としないけれど、があるということについてももしかしたら一致しているのかも知れない。あらゆる物事が、僕自身の心の中の、そして僕自身の身の回りのアナロジーに感じられるというのは、僕が感じる必要のない無駄なエネルギーをも感じ取ってしまう過敏な性格を表しているということなのか、事実その通りなのか知れない。

少子化についての読売新聞によるアンケート結果というところだがいくつか気になることがないではない。そもそも読売新聞というのはどうしても自民党と結びつきが強いきらいがあるから、こういう新聞社独自の調査というのは信頼できないこともある。選挙が近いときなど政府に都合の良いアンケート結果を一面に載せてあたかも民意が味方をしているかのような印象を受ける時もある。特に憲法のアンケート調査なんかは、他の新聞社と比較すればどうやっても政府に都合のいいように、結果から逆算して質問内容を決めてるんじゃないかって思う(社会調査の方法というのは不正はしていないにしても多分同じような結果でもいかようにも操作することはできると思うが詳しくないので名言は避ける)こともあるので注意しないといけない。まぁでも新聞社なんてそんなものだというか、ある程度自我を持って思想信条に合わせた報道をするのは悪くないので勝手にすればいいと思うけど、一般大衆が靡かれていく、もちろん近年はネットニュース全盛になってのでそういうわけにはいかないけど、それは戦前の大衆煽動的な報道を思わせるというのは言い過ぎだろうけどまぁ疑ってかかるのに越したことはない。
「とりあえず政府に従うべきだよ」って、国民が決めた、民主的なルールに則って組織された政府の考えを否定するというのは自分自身の政治的判断を覆す自己矛盾的な行為だというのはありうる批判にしても、僕は震災の時に民主党がまともな報道をしなかったことが発端となってそれから政府の報道そして政府に準ずる報道機関を信用しなくなった。つまり「直ちに影響が出るレベルではない」という発言をそのまま取る人間ほど愚かなものはないということを知ったのだった。それは味方を変えれば、補完性原理という言葉に繋がる。というのもヨーロッパでは補完性原理(巷でこれがよく使われているのかよく知らない)が主流で、自ら対処できるレベルのことは自ら対処し、それができなければより大きな組織、つまり市区町村で対処し、それができなければ都道府県、それでも無理ならば国・世界・宇宙(笑)というように自分たちで対処できることは基本的に自分たちで行わなければならないという基本原理によってヨーロッパは成り立っており、日本も同じように、おそらく古代から中世、近世、近代の途中まで、そうなっていたはずだが、近代国家の成立と中央集権国家樹立によって解体させられてしまったのだろうと思う。自分の身は自分で守るというのは、生きていく上での基本原理と言わざるを得ないが、いつの時代からか、やれ政府がやれ自民党がやれなんとかが、とまぁすべて上のやることに批判ばかりして創意工夫しなくなったのは、僕自身も含めてとても残念に思う。それがあらゆる生きづらさや心地悪さに多少なりとも繋がっている、つまり自分で何かを思考し改善する力を誕生の瞬間から持ち合わせないように生かされているということが巡り巡って主体的に生きることができない日本人の弱さを形作り、その結果として主体性のかけらもない僕みたいな不完全な人間をの生み出しているのだということになるが、それもまた、アナロジー。

上の記事では少子化の原因だと思う項目について「晩婚化・未婚化」が最も多く支持されているというのはいささか興味深く感じられるし、「経済的な問題」がその下に位置しているというのは多くのことを示唆しているのではないかと思ってしまう。僕が子供を持たない理由が言うまでもなく、彼女がいないからであるし、これから結婚したとておそらく晩婚化によって3、4人目を断念せざるを得ないというのは想像に難くない(2人生むのだという前提で論が進められているのを僕自身おかしく思う)。経済的な要因はどうだろう、もちろん実際に子供を育てる立場にないから想像だけで語ってしまうのだけれど、子供ができるにあたって経済的な要因というのはなんだかあってないようなものに過ぎないと思うのは僕があまりにも社会とかけ離れた場所にいるからなのだろうか。それはもっと近代人の価値観の問題や生きるということの価値観が変化していくという必然的な流れのようなものに感じるけど、ここら辺はまだよくわからない、また今度考える。
