2026/6/10 短編小説的雑記(『ナイキのスニーカー』)

2026/6/10 短編小説的雑記(『ナイキのスニーカー』)

電車から駆け降りて北東口へ向かう

西口は繁華街だけれど

東口、ことに北東口はオフィス街になっている

線路沿いを北へ

小走りになるが、走りはしない

かといってゆっくりも歩かない

日が高くのぼり短い影があとに続く

すれ違う人々も

西口のそれとだいぶ異なる

リクルートスーツに身を包んだ若者

刈り上げオールバックで額から自信がみなぎって見える

四角いメガネと傷のない革靴がきらりと光る

立ち並ぶビル群に

スマホで確認した通りのガラス張りの建物

ガラスが自分の姿を映し出す

陽が強く反射して目をしかめ

少し目を伏せながら中に入る

エレベーターに乗り込む

後ろからゆっくりと

スーツを着た若者が一人二人

短髪で額の汗を拭う男

ネクタイを締め直して襟元のゴミを払うふりをする

もともとゴミはついてなかったしネクタイも緩んでいなかった

僕は鏡を見て目にかかりそうな前髪を直す

ふと足元に三人の靴

自分だけ黒いスニーカー

どうせ一次面接だし足元なんて特に目立たないだろうと思っていたが、ナイキのマークがくっきり浮かび上がっている

足元を隠そうと少し猫背になって待合室へ向かう

コツコツと革靴の音がやけに刺さって聞こえる

なんとか間に合って一息つく

パイプ椅子に腰掛けながらあたりを見回す

7,8人の革靴がそれぞれの光沢を放っている

カバンからメモを取り出してあたう限りの質問集をもう一度頭に叩き込む

志望動機はもう良い、会社の強みや仕事内容もこの前の説明会でなんとなくたまに入ってる

問題は自己アピールの箇所でどのエピソードを使うか

サークルの浅い経験を掘り下げられたらドツボにハマる、でもアルバイトにはエピソードのかけらもないしゼミにはほとんど顔を出していないのだから、それしかない

一つの革靴が呼ばれて面接会場に向かう

次は自分かもしれない

周りのこわばった顔つきを見て、自分の固い表情を想像する

心なしか部屋の臭いが気になる

カビのような腐った木材の臭い

天井のエアコンを見上げても汚れらしきものは感じられない

パイプ椅子はステンレスの輝きを放って俺じゃないという

周りの革靴たちだって綺麗に磨き上げられている

自分か?

「それではお次、89番の方」

89番、ハックシチジュウニ、ハックドラッグ

「えーっと、89番の方」

手元の番号を見る

自分だった

わざとゆっくり立ち上がってよそいきな顔をする

心なしか、隣のセンター分けが黒目を下に動かした気がした

廊下を音もなく進んでいく

自己アピールのエピソード、エピソード

バイトよりもサークル、サークルの中でもメンバーが馴染みやすい環境づくりをしたこと

それは自分のためではなく周りの人に喜んで欲しいから、

一言で言うと、私は利他的な精神があります。これで良し

コンコンコン、失礼します

吃るような不細工な音が鳴った

部屋の中は椅子が一つ

何もかも隠しきれないことを悟る

張り詰めた緊張感に

唾を飲む音が鳴り響いているように感じるほど

そう思っていたのは実はほんの数分だけであった

イメージしていたコワモテで角張った面接官ではなく

思ったよりも若くフランクに質問を投げかけてくれる

ラッキーなことに同じ大学の先輩でもあったので

あろうことか行きつけの飯屋の話で大いに盛り上がった

これはいけるかもしれない

膝の上にキツく結ばれていた拳は次第に緩んでいき

ナイキのマークは会話の音にかき消されていった

話が途切れた後、しばらく間を置いてから腕を組んで

「うーん、それにしてもあれだな〜」

「うん、君が真面目なのはすごく分かる。すごく分かるよ、だって質問内容大体暗記してきてるもんなぁ」

眉間に皺がよって鋭い視線を投げかけてくる

「そうだけど、まぁこれは、これはだいぶ長く大学にいたんだね」

資料に目を配りながら言う

「そ、そうですね、少し、少しゆっくりしすぎました」

ここが大いに見られてる、この反応を見られてる

落ち着いて話すしかない、落ち着け、自分

ナイキのマークだって見られてるんだ、取り繕ってもしょうがない

「まぁ根は真面目なんだろうねぇ」

資料からは目を離さない

「そ、そのはずなんですけどね」

苦笑いをしながら前髪を触る

「うーん、じゃあ保護者様はなんて言ってるの?留年してたこと」

狼狽えず、背伸びせず、ありのままに話さないと

「母親は、基本自分に任せてくれています」

うん、これはホントにそう

「おおう、そうか〜、いいお母さんだなぁ」

幾分過保護に見られてしまうかもしれない、咄嗟に

「はい、でももちろんもう心配をかけたくないですし、そろそろ安心させてやりたいと思ってます」

うん、これもホントにそう

「うんまぁそうだろうなぁ」

「それにしても、君、良い眼をしてるね、大事にしなよ」

「それじゃあ、お父さんはどうなんだ」

突然、天井から質問が降ってきた気がした

「いや、その、父親は、ですね」

よく考えれば聞かれそうな質問だったが、全く予想だにしていなかった

拳を密かに握りしめ、足先までも力が入った気がした

「まぁ色々言われたろう、それはな」

口ごもる自分に先回りして

「じゃあ父さんは何やってる人なの?」

と自然と話を転じてくれるも、その配慮が僕をあらぬ所へ連れていく

父親は、いない

なんて言えない

父親は、死んだ

なんて言っていいんだろうか

そんな事を言ってこの場を凍り付かせてしまったら

この面接の場を白けさせてしまったら、申し訳ない

もはや面接に落ちたくない、と言うよりも相手を、この場を、この空気を汚したくない

「父さんは、父さんは、」

父さん、という慣れない言葉が何とも言えない気持ちを呼び起こす

まだ小さかったから、パパ、としか呼んだ事がなかった

「高校の、高校の先生を」

やってます、とは言えず、かといってやってました、とも言えなかった

「おう、そうなのか、じゃあやっぱり学問好きの家系なのか〜、科目は?」

「えっと、理科を、生物をです」

「へぇー、そうなのか」

相手は何も不思議がる様子もなく話し続ける