肌寒くて目を覚ます。シャッターの隙間を縫って、細い糸のような明かりが入り込んできている。
頭の中がぼんやりする。明かりの強さからもう昼時なのだと感じ取りつつも、身体が動かない。仰向けに横たわって淡い夢の中をまだまだ彷徨っていたい気持ちになるけど、空気の冷たさが少し邪魔になる。布団を被り直して横になる。そこに覆い被さるように学校のチャイムの音が遠くに響いてくる。何かをせき立ててくるように。昼休みのチャイムなのか、近くに小学校があるのを少し恨めしく思う。
やらなきゃいけないことが駆け巡る。頭の中で縦横無尽に走り出す。急に朝が蘇ってくる。いや、もう昼だ。振り解こうとするのに夢の中にまで入り込んでくる。針のように突き刺そうとする。でも身体は動かない。動かさないのか動けないのかよく分からない。風邪をひいてるわけでもどこか痛めているわけでもない。強いていえば頭の中に空気が足りない気がする。後頭部の奥の方で息絶え絶えになる細胞の息遣いが聞こえてくるような。でもそれは動かないという正当な理由になるほどではない。
寒いのでシャツを羽織る。起きてしまった。1日が始まった。朝が来たけどもう朝は終わった。昼から頑張ろうとは思えない。頑張るなら朝から頑張りたい。
そっと壁に寄りかかる。薄暗がりでスマホが眩しい。わけもなく画面をスクロールする。身体は重くても指先は軽々と動いてくれる。コツンコツンと爪の当たる音がする。安心する。考えることがあると落ち着く。
折りたたみ型のスマホがついに発表されたらしい。ここ数年しばらくカメラ性能のためにスマホを買い替えていたユーザーにとっては待ち侘びた新製品のようだった。価格を見るまでもなく自分が手に取るはずもないのに新製品のレビューを流し見する。識者によれば表面を覆うディスプレイの素材が今までとは全く違う新しい材質になっているという。映像を見ていると触りもしていないのにサラサラした触感が指に伝わってくるかのようだった。
コツンコツンは止まらない。
ユニクロの秋冬コレクションが明日始まる。その参考レビューが流れてくる。トレンドに合わせたショート丈のアウターは色味が新鮮で実物をぜひみてみたいと感じる。新素材のテーラードジャケットは固くなりすぎないラフでカジュアルなシーンにも使えそう。秋用のアウターは一枚買っておきたいので気になる。特に新素材のテーラードジャケットは手で表面をなぞってみたくなる。多分すんごく気持ちいい。指を巧みに滑らせてズームアップしてみるけれど、感触までは分からない。触りたくて触りたくてうずうずする。
高校生のインフルエンサーが炎上しているらしい。理由がよく分からないが、恋愛リアリティー番組において、同学年の好青年に告白されたにも関わらず、特に理由を述べることなく断ってしまったのが相手に失礼とかいうそういう話みたいだった。確かに映像を眺めていると断った理由が不明瞭で精彩に欠ける印象を持つ。そしてその男を振ったインフルエンサーというのがとびきりの美女であり、かつとびきり不評を買っている。色白で縦に細く伸びた鼻筋がスマートな印象を与え、事実高校の偏差値も高くて才女という触れ込みで人気を博しているよう。ただそれが逆に計算高い悪女というイメージにすり替わり、付き合うつもりもなく売名のつもりで番組に出ているのではないかという噂につながっている。一切根拠という根拠に欠けるものなのだが、同じような非難のコメントばかり目にすると確かに腹が立ってくる。詳細はよく分からないけれど、その済ました出鼻を挫いてやれと思う。もっとやれと思う。とりあえずアンチコメントにいいねを押しておく。
コツンコツンが止まらない。
そういえば僕は何かをしなければならない。遠くの方で物音がする。でも何をしなければならないのか忘れる。気付けば動画が流れている。スクロールする。また別の動画が流れている。腹がたつ。スクロールする。別のことに腹をがたつ。
何かしなければならない。こんなことをしている場合じゃない。左手が疲れてきた。右手に持ち替えて左手を休める。頭は休まらない。次々に情報が流れていく。見たいような見る必要もないような内容。でも見ないではいられない。もっと流してくれ。情報で埋め尽くされたい。左手は疲れた。じきに右手も疲れる、頭の中は疲れることを知らない。
流れていく動画に身を任せていくうちにさっき見た動画の内容も同時に流されていく。触れてみたいと思った気がする。肌触りを確かめたいと思った気がする。よく分からないがとりあえず腹が立ったのは覚えている。いいねを押した感触は間違いない。スッキリした。頭がスッキリした、気がする。
さて何をするのか。顔を上げるとチクリとする。どこかで誰かが叫んでる。気のせいかもしれない。インフルエンサーの泣き声かもしれない。スマホの新製品が不評を買ってるのかもしれない。流れを止めてしまうと針が突き刺してくる。突き刺されないように画面をなぞらなきゃ。いつまでも続く動画の波。川が流れるようにとめどなく流れていく。流れていく動画には一つとして同じものはない。同じものはないのに、でも同じものに見える。というより何も覚えてない。いいねの感触だけが指に残っている。

起き上がって飯を食う。レンジでチンした白米と卵焼き。スマホの画面を脇に置きながら喉に流し込む。やっぱりインフルエンサーの女は可愛い。ふいに告白されて困惑した表情がアップで映し出される。その凹凸のある生々しい肌質、ところどころにニキビの跡なのか、小さなシミも覗かせる、そんな細部を見ていくとなんだか急に目を離せなくなってくる。ただのっぺりと白く塗りつぶされただけの、加工された動画にはどうしても空虚さを感じざるを得ないのだが、このうつむいた表情には、肌の中に生きた人間の証のようなものが含まれているように、そしてそれが直に自分の肌にも伝わってくるようである。
白米の味も分からず飯は終わる。少し冷たかった気がする。もっとチンすれば良かった。
ドライヤーをかけて髪を整える。整えている間も動画を傍で流し続ける。音はよく聞こえない。もっというと映像もよく見えない。でもないと落ち着かないから置いておく。寝癖はついていないので楽だった。
シャツに袖を通しながら考える。誹謗中傷は良くない。あんな純朴そうな生き生きした女の子に悪気なんてあるはずがない。そもそも恋愛リアリティー番組なんだから所詮バラエティー番組だと考えなければならない。なんでこんなにか弱い女の子を痛めつけるのか。暇な大学生や嫉妬心で腹の中が捻じ曲がった性悪女どもがよってたかって叩いているに違いない。僕はそんなやつにはならない。
肌寒いので久しぶりにジャケットを出そうか迷う。天気予報のアプリを開いて気温を確認する。やっぱり今日は寒い。自分の感覚は正しかった、朝(昼)起きた時から気づいていた。スマホの情報よりも自分の感覚に重きを置くべきだと思う。彼らは所詮後追いに過ぎない。僕らの感じた細々した感覚を集積してそれを法則化したり定式化したり数値化してみたり理論化してみたりしているに過ぎない。でも結局のところ僕の感覚がないと何も始まらない。僕の寒いという感覚があって初めて彼らは起動する。申し訳ないがAIに未来は感じない。彼らは何も感じ取ることができないから、ということは何も生み出すことができないから、常に僕らの後を追いかけているだけだから。僕は僕の感覚を頼りに駆け出していく。そしてその後ろをAIが追いかけてくる。馬鹿らしいことだと思いながら。
クローゼットの奥にかけてある萎びたジャケットを引っ張り出す。袖の先の方に茶色いシミが浮かんでいる。そういえば夏前にラーメンを食べた時、袖についてしまったのだ。クリーニングを出そうと思っていたのについぞ出さずに秋が来てしまった。まぁ大して気にするほどのものでもないと思って羽織る。サイズはジャストフィット、体型は変わってない。伸縮性のある素材なので伸びをしても窮屈に感じない。でもほとんど伸びをする機会がないのでもしかしたら別に必要ないのかもしれない。

