日記を書こうと思ったけど、そういえば何をしていたのかすぐには記憶が蘇ってこない。昨日より暑かった。雨が続いていたのに、今日は久しぶりに汗ばんだ陽気だった。外を出たとき、すぐに半袖にすればよかったと思った。今も結構蒸し暑い。とりあえず窓を開けて網戸にしてみる。鈴虫の声がする。ひんやりした風が肌を撫でて、今日あったことをさらに忘れさせる。
休みの日は虫の声がよく聞こえる。駅前を歩いていたら、やたらとツクツクボウシの声が気になって足を止めた。欅の木を見上げながらどこにいるのかよく分からなくって何だか恥ずかしくなって、その先の青い空を見上げたふりをした。でも声だけは聞こえる。聞こえるんだけどどこか切ない。もう夏も終わりだからか、最後の力を振り絞っているようで、最後は中途半端に声が途切れて青い空の彼方に消えていった。
一方で、終わりばかりじゃないぞ、と誰かが言った。駅に向かう途中も庭先に、柿の実が少しづつ色づいて、少しづつ大きくなっているのを見かける。確か8月中旬ごろにやっと青い小さな実をつけだして、少しづつ成長していくのを毎週日曜日にだけは確かめていた。仕事のある日がなぜだか確かめる余裕がない。気づけば1週間経っていて、今日見たら黄色く色づいていた。色が変わると打って変わって一気に存在感が増しているように感じられて、ツクツクボウシも浮かばれるんだと思った。そう言えば今日は今年初めて銀杏の臭い匂いを嗅いだ。サンダルで銀杏を踏んだ感触がして、その後にムッとする匂いが鼻を包んだ。でもイチョウの葉はまだまだ青々としていてこちらはもう少し時間がかかるようだった。秋が待ち遠しい。早く黄色い絨毯で埋もれた歩道を歩きたい。落ち葉を踏むときの感覚がいつもたまらなく好きなのだけれど、周りに人がいるともちろんできない。いつかあれを誰に気兼ねすることなく目一杯踏み締めてやりたいと毎年思う。今年はまだだ。そして多分今年もやらない。

カフェに行ってアイスコーヒーを飲む。iPadおばさんがいた。最近夜見るおばさん。いつもiPadと睨めっこしているから。他は特に記憶にない。喫煙所に季節感はない。
中上健次の「枯木灘」を少し読む。味が濃い。家系ラーメンの味濃いめ。でも都会的で学問ばかりやっている人には書けないような視点で書かれていて面白そうかな。最近は村上春樹の初期作品、あと大江健三郎の「個人的な体験」「万延元年のフットボール」あたりを読んでいた。ふむ、という感じ。
落ち着けないので電車に乗る。電車に乗ってからどこに行こうかを考える。最近いつもこうなので困る。ぶらぶらしたいけどどこにいくのかよく分からずに電車に乗る。そしてどこに行くか決める。決まらない時はまだ戻ってくる。今日は横浜駅まで行こうと思った。ルミネに行って秋用のセットアップを見に行こうかなとかユニクロに行って秋冬の新作を見ておこうかなとか、あるいは北口にある美味いハンバーグ屋に行きたいなとか色々考えていたのだけれど、結局人混みの中に行きたくなくなったのでその手前の関内駅で降りた。降りてから何をするのか分からなかったのでタバコを吸った。もしかしたらタバコを吸うために降りたのかもしれない。関内駅は唯一駅前に喫煙所がある。これは結構重宝する。根岸線の駅で目の前に喫煙所があるのはどこがあるだろう。あぁ大船駅もあった。でもあれは少し歩く。信号もある。他はないねぇ。横浜駅もちょっと歩く。関内は偉い。その代わりホームレスみたいなのとたまに出くわすのが玉に瑕。
駅前の信号で止まる。止まると急にグッと疲れが出る。歩いてると何も感じないのに、止まると足が重い。歩いてないのに重い。というよりも手持ち無沙汰な感じがして落ち着かない。何かしてないと落ち着かない。何も考えていない時間が恐ろしく退屈に感じる。身体全体の重みが急に降ってくる。といっても信号なのだから、スマホを取り出すほどでもない。でも何もない光景をただじっと見ているのが耐えられない。車が通り過ぎていくのを見送っていくだけの景色。信号機は何も言わない。アスファルトも黙っている。季節感はない。
歩き出すと急にリズムを取り戻す。歩けて良かった。何だか早歩きになる。どこにいくとも決めてないのに。そういえばどこに行くんだ?止まるとまた疲れてくるから歩く。また信号で止まる。疲れが覆い被さる。どこに消えていたのか分からないが、すぐに戻ってきた。どうもまた会ったね。赤信号をじっと見つめる。周りの人の服装を見る。自分の服装を見る。やっぱり半袖で良かった気がする。何か考えてないと落ち着けない。何も変わらない。車が前を通り過ぎる。日差しが強い。でもアスファルトが照り返すほどではない。青になったらスッキリした。とりあえずユニクロに入ってみる。

カシミアのセーターは高くて買うつもりはないけれど、いつも肌触りだけ確認しておく。やっぱり抜群に良い。化学繊維やメリノウールももちろん良いけれど、カシミアに触れるともう元には戻れない気がする。でも買った事はない。1万円もする。秋用のアウターを買いたいと思っていたのだった。でもこの店舗には新作があまり置いてない。それはそう。だから横浜に行こうと言っていたのに行かないと言い出したからこうなった。それはそう。帰り際にもう一度、カシミアの素材を掌ですりすりしてから外に出た。
ブックオフに行って本を見る。といっても買うものといっても特に無い。星座占いの本を手に取る。来年の自分の運勢を確認しておく。どうやら来年は「整理の年」らしいので引っ越しをしたり転職するには今年中が良いらしい。そして何よりも「仕事は基礎や基盤を固めておくこと。すぐに結果や成果を求めるのは御法度。」とあった。今年や来年は、その後に続く「解放の年(2028)」に繋がる準備期間だと考えて、「成果よりもコツコツ努力を積み重ねていくこと」が肝要だという。ほうほう、確かに今僕がやっていることも自分の土台を固めているような感じがする。澱みなく創作がひらめいていくというよりも、いかに良質な文学を吸収してそれをいかに自分のものとするか。血となり肉となり骨としていくか。偽りの自分を手放すというか、自分の奥底に眠っている核の部分を磨いていっていかに自分自身のものにしていくか、そんな感じがしないではなかった。そういう意味では納得するような部分もないではなかったが、でもそういえば去年も一昨年もその前も、何だか同じようなことが書かれていたような気がする。いつ見ても準備をしろ、土台作りだ、成果を求めてはいけない。いつまで経っても同じところを堂々巡りしているような気がする。いつになったら次のステップに進むんだ?それで解放の年になったらまたそれはそれで解放であって成果ではないとか言い出すんじゃないか?そんなんじゃ日が暮れちまうよ。ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つというけれど、僕は常々昼間から飛び立ちたいと思っている。
その後カフェに入って、本を読んでいたら日が暮れた。やっぱり日が暮れた。いやこれは毎日起こることだ。鈴虫の声が聞こえてきた。ツクツクボウシはもう聞こえない。風が心地良い。月は見えない。信号が赤く染まって、また疲れが見えた。

